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人物・文献情報データベースWHOPLUSの“人物”をテーマにしたブログです!
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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第25回)  坂本あおい
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この野菜がおいしくいただけるのは

鍋料理の季節がやってきた
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 寒くなってくると、がぜん出番が多くなるのが、鍋料理ではないだろうか。水
 炊き、ちゃんこ、石狩鍋に新顔の豆乳鍋。最近では中華系の火鍋や薬膳鍋を出
 す店もふえてきた。みんなでひとつの鍋をつつく、あの一体感。会話もはずみ、
 身も心もホカホカして、ああ、幸せだなあ。そんな各種の鍋料理に欠かせない
 のが白菜だ。スープの色にそまり、ほかの具材にしっかりとよりそってくれる、
 名脇役。ということで、今回はこの野菜にスポットをあててみたいと思う。

白菜はデリケートな野菜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 白菜は、すっかり食卓にとけこんでいる感があるが、日本に定着したのは、そ
 れほど昔のことではないらしい。古くは秀吉時代のあたりから、大陸方面より
 持ち込まれたが、土着の野菜とまざり消えてしまった。特に日清・日露戦争の
 ときには、こっそり種を日本に持ち帰る兵士も多かったようだけれど、せっか
 く栽培に成功しても、種をとってまくとべつの野菜に化けてしまう。これには
 みんな、ガッカリだった。
 じつは白菜には交雑しやすい性質があって、白くて葉っぱのキュッととじた清
 純な白菜を育てても、いつのまに、どこぞの種がまざって、カブやナタネなど
 との交雑種が生まれてくる。うらで悪さをしていたのはミツバチだった。彼ら
 がせっせと花粉をはこんでくるので、種がまざってしまうのだ。

仙台白菜の生みの親
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 そこで、白菜を離島でそだてるというナイスなアイディアを考えついた人がい
 た。沼倉さんという人である。
 なぜ、わたしがこんな話を知っているかというと、この沼倉さんは知人のご先
 祖さまだからだ。もちろん、WHOPLUSにも載っている。一部を抜粋して、
 沼倉さんの成功の軌跡をたどってみよう。
 
  ◎ 沼倉 吉兵衛 安政6年陸奥国(宮城県登米町)生まれ、昭和17年没
農業技師
    仙台白菜の生みの親
  日清戦争に従軍した第二師団の兵士により同校に寄贈された白菜の栽培に着
  手。明治39年伊達家養種園技師を兼務、本格的に結球白菜の栽培と採種法を
  試みる。カブやアブラナなどとの花粉の交雑をさけるため離島での栽培を行
  い、大正3年優良な種子の大量採種に成功。11年松島白菜として初めて農家
  に配布、12年には東京市場への出荷された。仙台から出荷されたため"仙台
  白菜"と呼ばれ、全国に知られた。
                 (データベース「WHOPLUS」より)
 
 わたしはいわゆる鍋奉行ではないので、いつも、いたって従順に、おとなしく
 鍋を食べているのだけど、この手の話をたくさん仕入れてしまうと、鍋のウン
 チク屋になってしまいそうでこわい。「知ってる? 白菜って…」、「しゃぶ
 しゃぶ鍋のルーツはね…」とかなんとか。うっとうしがられないように、気を
 つけねば。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第24回)  坂本あおい
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本の虫

あの虫はなんと呼ぶ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 どうでもいい疑問とは、唐突に、頭に浮かぶものである――。
 ある日、古本屋で入手した、ページの黄ばんだ本を読んでいた。文章と文字が
古めかしくて、なかなか身が入らず、いつのまにか頭では別のことを考えている。
そんなとき、ふと目の前を何かがよぎった……気がした。
 本の虫。
 ページをひらいたとたん、紙の上をツーとよこぎる、あのおなじみの小さい虫
だ。じっさい、その虫がいたわけではないのに、散漫な意識がわたしに幻を見せ
たのだ。そのとき、わたしはふと思った。あの虫はなんと呼ぶのだろうか?
  人生のなかで何度となく目にしているというのに、そういえば名前すら知らな
いではないか。

 WHOPLUSで「本の虫」のキーワードでしらべたら、「著書・著者情報」
のなかに、それらしいものが見つかった。あやうく騙されかけたが、よく見れば、
それはなかなか見事な「擬態」であった。

玉虫色の本
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
『本の虫―その生態と病理 絶滅から守るために』

第1部 本の虫とは何か(本の虫の発見;本の虫の概要;駆除・撲滅の歴史;本の虫の
変態・擬態・天敵;絶滅危惧種としての本の虫);第2部 読み虫類……

 しかも著者のスティーヴン・ヤングという名前は「某作家のペンネームらしい
が、諸事情があって明かせない」(「著者紹介」より)のだそうだ。また調べた
ところ、この本では、書店に行くとなぜかトイレに行きたくなるという、日本の
「アオキマリコ現象」についても言及しているとか。ひょっとして、この著者の
生息域はニッポンなのか? なんとも玉虫色の本だ。

 さて、わたしの調査結果によれば、あっちのほうの「本の虫」はどうやらチャ
タテムシというらしい。中でも屋内にいる代表的なものはヒラタチャタテといっ
て、処女生殖(単為生殖)を行うという。かの偉大な聖母を連想させることばだ
が、要するに、ヒラタチャタテはみんなメスで、オスは見つかっていないのだそ
うだ。
 ちなみに、紙を食べるというイメージから、紙魚(シミ)という虫と混同され
がちだが、紙魚のほうはメタリックな銀色の鱗におおわれていて、体長は最大で
10ミリもあるという。そんな虫が本の間からスルスルとでてきたら、それはもう、
どんなホラー小説よりも恐怖というものだろう。


■アオキマリコ現象(=青木まりこ現象)
 書店(古書店、図書館なども含む)に長時間いると便意を催すという現象。
 『本の雑誌』第40号(1985年)の投書欄に、この体験談が「青木まりこ」とい
 うペンネームで投稿されたため、こう命名された。
                 (「ウィキペディア(Wikipedia)」より)

■ヒラタチャタテ
 昆虫綱噛虫目コナチャタテ科の微小昆虫。体長1mm。貯穀・貯蔵植物性食品に
 害を及ぼす。世界中に分布。
           (日外アソシエーツ刊「昆虫レファレンス事典」より)

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第23回)  坂本あおい
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物議をかもす建築物

古都ウィーンの建築デザイン
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 今でこそパリのシンボルであるエッフェル塔だが、建設当初は、その奇抜なデ
 ザインに大勢の人が眉をひそめたというのは有名な話だ。
 わたしは以前、オーストリアのウィーンに住んだことがあるのだが、あの街に
 もデザインの面で物議をかもし、のちに名所となった建物がいくつもある。装
 飾的な建築が求められた時期と場所に、シンプルなデザインを貫いて酷評され
 た通称「ロースハウス」。新しいところでは、シュテファン大聖堂の前という
 伝統ある歴史地区に建てられた、ピカピカの鏡張りビル「ハースハウス」。古
 い街並みを鏡にうつしこむことで、周囲との調和をはかるデザインなのだが、
 1990年の建設当時には非難ごうごうだった。

 さらにもうひとつ、「フンデルトヴァッサーハウス」という奇妙キテレツな建
 物がある。外壁はチグハグな積み木を重ねたようで、不ぞろいな窓があき、あ
 ちこちから樹木がはみでていて、さらには壁や床がうねっている。これがウィ
 ーン市が建てた公営住宅というから、驚きだ。近くには建築家自身の美術館も
 あって、直線ぎらいの彼のデザインを見る(というより「体験」する)ことが
 できる。自由な発想でつくられたカラフルな建物はとても楽しいが、うねる床
 というのは、想像以上に三半規管にきびしいものだった。

キテレツ建築家なり
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ところで、このキテレツ建築家フンデルトヴァッサーの経歴をWHOで見てみ
 ると、こんなことが書いてある。近畿圏の人はよくご存知かもしれないが、じ
 つは彼の建築作品は日本にもあるのだ。

  フンデルトヴァッサー(画家、建築家、1928-2000)
  「ウィーン幻想派の巨匠。【中略】絵画制作とともに、エコロジカル・アー
  トの元祖的存在として環境問題へも積極的に発言し、また自然と共生する住
  宅モデルも数多く発表。大阪市舞洲に建設のごみ焼却場をデザインし話題と
  なった」

 思い切った決断をするという意味では、大阪の行政もウィーンに負けていなかっ
 たわけだ。彼の「人物文献」をみると

 「遊園地?それとも回教のモスクかラブホテルか FOCUS  21(14) 2001.4.11
  p38~39」

 と工場を揶揄する見出しもあるが、わたしには、あんなブッ飛んだゴミ処理工
 場をもつ大阪市民が、ちょっとうらやましい。市が彼にデザインを依頼した背
 景には、オリンピック招致をめぐる思惑もあったようだが、それが空振りにお
 わり、高額なデザイン料に非難の目がむいたとしても、建物自体は末永く大事
 にしてほしいと思う。物議をかもした建築物は、ヨーロッパの例に示されると
 おり、年を経るうちに多くの人に愛される名所となる可能性に満ちているはず
 だ。

<編集部注>
 大阪市のごみ焼却場:大阪市環境事業局舞洲工場のこと。事前申込をすれば、
 中も見学できる。

 (見学案内)
  http://www.city.osaka.jp/kankyojigyo/sec04/kengaku.html

 (パンフレット)
  http://www.city.osaka.jp/kankyojigyo/sec08/pdf/p08_27maishima.pdf

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第22回)  坂本あおい
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西と東のウィリアム

人殺し、いろいろ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 今になって後悔しきりなのだけど、わたしはえらく怠惰な学生だった。英米文
  学科に通ったのに、文学の喜びも深みも学ばずじまい。唯一、憶えているのは、
  「人殺し、いろいろ」ということばぐらいだ。どこぞの国の首相が言った「人
  生、いろいろ」と似ているようで、ちがう。それになんだか物騒な響きだけど、
  実際はさにあらず。じつはこれ、ウィリアム・シェイクスピアの生没年(1564-
  1616)の憶え方なのだ。

 学んだ当時は、安直なゴロ合わせだと笑ったけれど、ありがたいことに、この
  ことばはけっこう役にたつのだ。歴史に疎いわたしは、年号だけ聞いてもピン
  とこないことが多いのだが、シェイクスピアの時代、あるいはその前、後と考
  えることで、風俗なども推測できて、想像が立体的になる。これとコンスタン
  ティノープル陥落(1453)とフランス革命(1789)くらいを指標として憶えて
  おけば、中世より後のヨーロッパ史はバッチリだ、と大ざっぱなわたしは思っ
  ているのである。

同い年生まれのウィリアム
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 さて、せっかくWHOという道具があるのだから、この「人殺し、いろいろ」
 を日本史に応用しない手はない。ということでシェイクスピアとおなじ「人殺
 し」年生まれの人を検索してみると、見つかったのは、青い目のサムライ三浦
 按針(ウィリアム・アダムス)だった。経歴はこうだ。

 慶長5年(1600年)リーフデ号で太平洋を横断中に難破して豊後に漂着。徳川家
  康に謁して、相模国三浦郡に所領、江戸日本橋に邸を与えられ、家康の顧問と
  なる。また本国イギリスと連携して平戸の商館設立に尽力し、慶長18年(1613
  年)より平戸のイギリス商館に勤務。しかし日本の鎖国政策がオランダ中心と
  なったため、晩年は苦労が多かった。日本に来た最初のイギリス人といわれ、
 “按針”は水先案内人の意。

 シェイクスピアが活躍した時代に、同じ年に同じ英国で生まれたもうひとりの
  ウィリアムが、東の果ての日本で活躍していたとは、なんとも奇遇ではないか。
  また按針が日本に漂着した1600年といえば、シェイクスピアがハムレットを書
  いたと推測されるころ。そして、日本はご存知、天下分け目の関が原の年だ。
  もし西のウィリアムが、按針と戦乱の世を見ていたら、どんな劇が生まれただ
  ろう。正統的な歴史劇もいいけれど、ダジャレ好きのウィリアムの手による、
 コメディタッチの時代劇なども、ぜひ鑑賞してみたいものだ。シェイクスピア
 劇につきものの道化役が、馬に逆向きに乗って関が原をかけぬけたりしたら面
 白いのだけど。
 ちなみに「いろいろ」年に没した人を調べてみると、徳川家康がいた。なんと
 も奇遇…でもないですね。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第21回)  坂本あおい
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 『アニータ考』

  「か弱き」日本人は増殖しているのか?
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    「アニータ」ときけば、思い出していただけるだろうか。ハスキーボイスで、
   美人をヌカ漬けにしたような味のある顔立ちに、惚れ惚れするほどの図太い言
   動。場数を踏んだ人のみがもつ妙な余裕と、雑草のたくましさを備えた女性。
   そう、青森県住宅供給公社巨額横領事件でおなじみのアニータ・アルバラード
   だ。
  WHOPLUSの情報によると、夫の千田郁司が着服した14億5千万円のうち、アニー
  タは約11億円を受け取ったそうだ。その額の大きさは、彼女の魅力を伝えるも
   のなのか、それとも千田受刑者の頭のネジのゆるみ具合や、公社の金銭管理の
   ずさんさを表しているのか。まあ、全部だろうな。

    しかしあの事件、額の大きさにもびっくりしたけれど、なにが驚いたって、
   あのアニータが自分よりも年下だったことだ(1972年12月25日生まれ)。犯罪
   スレスレの生き方には賛成しないが、転んでもただでは起きない彼女の強さや、
   世知長けた女としての図々しさやズルさには、ただ感服するばかり。それが、
   1歳、年下だなんて。
    あれとくらべると、日本女性はずいぶんと生ぬるくはないだろうか? 街や
   テレビを見ても、ラブリーでヤワなレモンゼリーちゃんがいっぱいだ。最近で
   はべたべた声のアナウンサーまで増殖しつつあり、「いたいけさ」や「つたな
   さ」がここまで買われる社会になったのかと、ちょっと不安になる。MAGAZINE
   PLUSで調べてみると、

   ◆アニータに圧倒される「か弱き」日本人  AERA 15(43) 2002.10.14 p20~22

   なんていう記事もあった。ほんと、その通りだ。日本人よ、もっとがんばろう
   ではないか!

   なぜこんなことを書くかというと、じつはわたし自身が腰抜けで不甲斐ない
   「か弱き」日本人であって、それが心底いやになっているからだ。先日も、と
   ある飲食店でとんでもなく悲惨な目にあって負傷までしたのに、文句のひとつ
   も言えないという情けなさ。だから、どんな状況にあってもたくましさと図太
   さを発揮する秘訣を、ぜひともアニータから学びたいと思うのである。だれを
   敵にまわしても、ラテン系の太い声で「あんた、ヘナチョコね」くらい言える
   ようになれば、わたしも一人前なのだけどね。


  アニータは、どこまでもたくましい
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    さて、金をふんだくられたあげく、日本男子を代表してヘナチョコ呼ばわり
   されるかっこうとなった千田受刑者は、懲役14年ということなので、いまも
   塀の中だろう。当時は、悪い女に引っかかったアホな男というイメージを持っ
  ていたけれど、

   ◆青森「14億円横領男」の謎の二重生活  週刊新潮 46(43) 2001.11.15 p30

   でわかるように、こちらもまた食えない男だったのかもしれない。それから、
   ずさんな公社の元職員らは、監督責任を怠ったとしていくらかの支払いを命じ
   られたそうだ。
     一方、アニータは、その間に何人目かの子供を出産したとか。どこまでもた
   くましいアニータ、見習わねば。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第20回)  坂本あおい
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 『かわいい猫、そうでない猫』


  話題の藤田嗣治展にいってきた(※)
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  つややかな「乳白色の肌」は聞きしに勝る美しさ。これだけでも大満足と思
 ったが、めくるめく藤田ワールドはまだまだ終わらない。次にわたしを釘づけ
 にしたのは《猫》(1940年)という絵だった。この作品の主役は、闘争する1
 4匹の猫。組んず解れつ、跳びあがったり、ひっくり返ったりしている猫の動
 きは、しなやかで迫力があり、また表情があってどこか鳥獣戯画のようにユー
 モラスだった。藤田の作品にはたくさんの猫が登場する。当然のように膝にの
 っている猫、裸婦の隣でまどろむ猫。ドテッとした猫、グニャッとした猫。ど
 の絵にも、猫好きにはたまらない味わいがある。WHOPLUSで調べてみる
 と、こんな本が出ていることがわかった。これは面白そうだ。

  ◆『猫の本―藤田嗣治画文集』(講談社)

   エコール・ド・パリの巨匠が描いた猫たちが初めて一冊に。
   フジタの猫たち130匹余!画集未収録作品を中心に約90点の
   猫の絵とエッセイ。
   2003.7.17 95p 24×19cm ¥3,000(税別) ISBN4-06-211844-0


  鳥獣戯画タッチの猫といえばもう一人、思い出す画家がいる
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  イギリスのルイス・ウェイン(1860-1939)だ。知人がウェインの絵につい
 て熱く語るのを聞いて、はじめて名前を知ったのだけど、じつは、わたしにと
 ってそれはウェインとの三度目の出会いだった。
  彼の描く擬人化された猫の絵は、カレンダーや絵はがきなどに使われ、広く
 人気を集めていたそうだ。わたしも10年ほど前のロンドンで、その一つと出
 会った。にぎやかでかわいい絵だと思ってカードを数枚買ったのだが、いま見
 返してみると、どの猫もあんがい意地悪な顔をしている。それでも、人間のよ
 うにふるまう猫の絵には、どこかほうっておけない魅力があるのだ。
  けれどもウェインを有名にしたのは、その擬人猫のうまさだけではなかった。
 彼は晩年精神を病むのだが、入院してからもずっと猫の絵を描きつづけた。し
 かしその絵は次第にどぎつく幾何学的になり、最後にはたんなる模様となる。
 その変化は、統合失調症の進行を示していると解釈され、多くの心理学の本に
 載ることになった。この毒々しい絵のほうこそ、わたしとウェインとの最初の
 出会いだ。数年前にウェイン好きの知人の話を聞くまで、この恐ろしい猫と、
 カードに描かれた滑稽な猫が、同一人物の手によるものだとは気づかなかった。

  ところで、いま、わたしの中にも猫がいる。その名は筋肉猫(ムスケルカー
 ター)。ドイツ語で筋肉痛という意味だ。極度の運動不足のため、ちょっと重
 いものを持っただけで、たちまちコイツが腕にやってくる。ふだんはただの猫
 (カーター)がいることが多い。こっちは二日酔いという意味。どちらも主張
 ばかりがはげしい、かわいげのないヤツだ。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第19回)  坂本あおい
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 『恥ずかしいこと』


  突然、WHOPLUSに「恥ずかしい」というキーワードを入れてみたくな
 った。他人の恥で笑いたい、そんな気分だったのかもしれない。ところがだ、
 ヒットしたのはほんのひとにぎり。それもたいがいが図書のタイトルからのヒ
 ットだった。考えてみればあたりまえか。でも気をとりなおして、中からもっ
 とも「恥ずかし度」の高そうなものを選んでみることにした。

 『 恥ずかしい和製英語 』 スティーブン・ジェームズ・ウォルシュ著
     草思社 2005.10.7 215p 19cm(B6) ¥1,300(税別) ISBN4-7942-1425-1

  ■ 本の内容
  スキンシップは「皮の船」、ボディチェックは「体当たり」、ガッツポーズ
  は「腹わたハミ出しポーズ」?? 英国人が「和製英語(英語風日本語)」を
  初めて聞いたとき思い描く恥ずかしくも怪しいイメージの数々。誤解や聞き
  間違いの混乱を通して、正しい英語感覚を教える、「ぼくの愉快な和製英語
  コレクション」。

  ■ 著者プロフィール
  1961年、イギリス、プレストン生まれ。マンチェスター大学、ケント大
  学大学院卒業。哲学専攻。1987年から4年間、AET(アシスタント・
  イングリッシュ・ティーチャー)として日本に滞在。その後、英国にて大学
  講師として日本人学生に時事、社会、哲学などを教える。2004年より日
  本にて翻訳などに従事

         (データベース「WHOPLUS/著書・著者情報」より)

  なるほど。ネイティブがそんな妄想をしていると聞いたら、恥ずかしいかも。
 「ガッツポーズ」という言葉の由来は、ガッツ石松氏だとか、実はそうではな
 いとか。本来の「ボディチェック」はアイスホッケー等の用語で、身体で相手
 の動きを阻止する行為をさすそうだ。そんな光景が、日々、空港で繰りひろげ
 られているとしたら面白すぎる。そして「スキンシップ」? 小声で告白する
 と、わたしはこれが和製英語だとは知らなかった。でも、負け惜しみではない
 けれど、逆輸出してもよさそうな、うまい単語ではないか。ほんとに「皮の船」
 なんて聞こえるのだろうか? ちょっと気になってきた。

  さっそくウェブ調査だ。まずは日本にいるネイティブの証言。「初めて聞い
 たとき、新しい米国スラングかと思った」。少なくともこの人には「恥ずかし
 い和製英語」風には聞こえなかったわけだ。それから「スキンシップ」は、多
 少ニュアンスのちがいはあるにせよ韓国でも使われていることがわかったし、
 韓国起源とする説さえあった。そして笑ったのが、恋愛指南とおぼしき中国の
 新聞記事だ。「三S策略」として、smile、sight、skinship(微笑、眼神、接
 触)をあげている。あるいはこれは、ホステスのテクニックか? そしてさら
 に、この語が世界保健機関のセミナーをつうじて日本に紹介されたという情報
 が、複数見つかった。「和製英語ではない」説、急浮上である。著者の立場、
 あやうし。

  とにもかくにも、和製英語はすでに日本語。東の国に落ちた種がちょっと奇
 妙な実をつけたとしても、ネイティブのみなさんには、笑って許していただき
 ましょう。ところで、恥ずかし度で言ったら、「英語」の誤表記、珍表記のほ
 うが上だろう。フレッシュジュースがFlesh Juice (肉ジュース)になってい
 たり、子どもが着ているTシャツのキャラクターが、うっかりイケナイ英語を
 叫んでいたり。これは恥ずかしいというか、もう、笑うしかないですね。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第18回)  坂本あおい
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 『ダーリンをさがせ!』

  ライターをしている同級生Mちゃんのブログを読んでいて、思わず膝をうっ
 てしまった。さすがは同い年。ついでにおなじ未婚だ。ほんとは、こんなとこ
 ろで共感したくはないのだけれど。
  Mちゃん曰く、仕事の締め切りなどで家に3日もこもっていると、お化粧も
 せず、髪はぐちゃぐちゃ、服はダラダラで、完全に「ブス化」するという。
  そう、そう! わたしなんか、3、4日、家から一歩もでないのは日常茶飯
 事だもんね。きっとMちゃんよりもブス化してるはず。お化粧の手順も忘れる
 し、服だけでなく脂肪と筋肉がデロロンとしてくる。まあ、自慢じゃないけど
 ...。
  でも、そこでもってMちゃんは自問する。「もし結婚したら、こんな姿をダ
 ーリンに見せていいものか?」と。たしかに、それはマズイ。今の姿は、ダー
 リンどころか宅配便のお兄さんにだって見られたくない。だからわたしはいつ
 も玄関の電気を消して、新美南吉『手袋を買いに』の子ギツネよろしく、扉の
 隙間から手だけをそっと出して受け渡しをする。
  でも、今はこの惨状を改善しようという気力すら湧かないのだけど、ダーリ
 ンがいたら、きっとがんばれる気がする。ダーリンがいれば...。

  ところで「ダーリン」といえば、思い出すのは『奥様は魔女』だ。この言葉
 が日本の隅々にいきわたったのも、あの名作TVドラマの影響が大きかったの
 ではないだろうか。アメリカ的文化生活、愛する夫に愛らしい子ども。厚化粧
 のママの存在はともかくとして、あんな家庭にちょっとあこがれた人も多いと
 思う。わたしもその一人だ。いつかサマンサみたいな仕立てのよい服を着て、
 「ダ~リン」と言ってみたいワ、と心ひそかに思っていた。
  ところがだ。つい最近になって知ったのだけど、あの広告代理店に勤める、
 しゃくれアゴの「ダーリン」は、「あなた~(Darling)」ではなくて、ダーリ
 ン・スティーヴンズ(Darrin Stephens)という名前だったのだ。30年間すっ
 かり騙されていた。ああ、夢やぶれたり。サマンサを真似てかわいい服を着て
 「ダ~リン」とやるには、Darrinという人を見つけなくてはいけないというこ
 とか。
  ためしにWHOで検索してみよう。ダーリンさん、見つかりますように...。

  ひとり、いた! よかった! ここでダーリンが見つからなかったら、いか
 にも縁起が悪いというもの。一生独身の烙印を押されたような気分だ。リラク
 ゼーション・コンサルタントのダーリン・ジーア(Darrin Zeer)さん、WHO
 にいてくれてありがとう! お礼に著書の『1週間自分リセット計画―運がよ
 くなる!きれいになる!』を買いましょう。それにこの本、「ブス化」進行中
 で男運のないわたしになんだかピッタリではないですか。これで本物のダーリ
 ンが見つかる、かも? ちょっと希望が湧いてきた春でした。

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  【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第17回)  坂本あおい
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 『30歳をむかえる人への10の質問』


  ずいぶん昔の話になるけれど、男性誌『GQ』が「30歳までに経験してお
 くべき101の事柄」という特集を組んだことがあった。経験すべきこと10
 1にくわえ、読むべき本、聴くべき音楽、見るべき映画がリストアップされて
 いるという、充実の一冊。わたしは当時まだ20代前半だったから、ヒジョー
 にのんきな気持ちで楽しく読んだものだった。
  ところが、30歳に近づくにつれて、その特集がチラチラと脳裡によみがえ
 ってわたしを刺激するのだ。とくに、世界的スターや政治家などの30代を紹
 介した写真記事は、わたしを激しくあせらせた。記事によると、みんなその頃
 にはすでに有名だったか、それなりの下地を築いていた。それにひきかえ、わ
 たしはどうだ?
  考えてみれば、モーツァルトは30歳で『フィガロの結婚』を完成させた。
 樋口一葉は30なんて悠長なことでなく、24年の生涯のうちに多くの傑作を
 残している。30歳とは、ガンバリや才能によっては、けっこうなことが成し
 遂げられる年齢なのだ。
  そんなことを思っているうちに、どんどん「30歳過敏症」に陥っていった
 のだけど、結局のところわたしにはガンバリも才能もなく、トコロテンが押し
 出されるように、あれよという間に20代と30代の境目をチュルッとまたい
 でいた。と同時に「30歳過敏症」という通過儀礼もおわったようで、以来、
 なんにも悩まなくなった。めでたし、めでたし。

  ところで、今年30歳をむかえる男性(1976生まれ)にはどんな人がい
 るだろう? WHOによると、こんな面々だ(敬称略で失礼します):シュー
 ルな衣装のソプラニスタ岡本知高、涙袋がセクシーなオダギリジョー、宙を舞
 う姿にわたしも惚れたバレーボールの加藤陽一、薬害エイズ問題と闘う元青年
 川田龍平、「天国の階段」でお茶の間を魅了したクォン・サンウ、それから千
 代大海、はなわ、山本耕史、格闘家W・シウバ、サッカーのロナウド等々。
  こうしたみなさんは各方面ですでに実績のある人たちだけれど、では『GQ
 』のいう「経験しておくべきこと」は、もう経験しただろうか? 洗濯物をマ
 マのところへ持っていっていませんか? 失恋はしました? タイトなレザー
 ・パンツは二度とはかない決心はしましたか? 詩を書いたことは? ベッド
 で縛られたことはありますか? 兄弟姉妹とどうしゃべったらよいか学びまし
 たか? 自分の酒量の限界がわかりましたか? 『第三の男』は見ました? 
 じゃあ『山猫』は? グールドの弾くゴールドベルク変奏曲は聴きましたか?

  ちなみに『GQ』のリストのうち、わたしが30までに経験したことをチェ
 ックしてみると、車を廃棄処分にする、父親と飲んで酔っぱらう、浪費してク
 レジット・カードを取り上げられる……。ええと、わたしは立派に30歳をむ
 かえたと胸をはっていいのでしょうか?

 

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  ■ 知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第16回)  坂本あおい
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 『発禁の誘惑』

  「発禁」とは、なにやらそそられる言葉である。読んではいけないといわれれ
 ば、ますます読みたくなる。これ、人の常。しかもなにやら淫らなイメージがつ
 いてまわる言葉でもあり、ひょっとしたら、自分がいままで知らなかった世界が
 そこにあるのかもしれない、と胸が高鳴ったりする。
  わたしの記憶にあたらしいところでは、中国の若手女流作家・衛慧が書いた『
 上海ベイビー』という本があった。「中国で発禁」といううたい文句はその本に
 魔法の力をあたえ、作品はまたたくまに数ヶ国語に翻訳されて日本でもヒットを
 記録した。じっさい、おどろくほどの内容ではなかったけれど、「色」というよ
 り「肉」的な性描写(しかも若い娘が書いた!)は、たしかに淫らではあった。

  ところが、長い歴史に目をむけてみると、「発禁」は淫らとは関係のないもの
 のほうが多いようにも思える。では、近年ではどうなのだろうか? ということ
 でWHOで調査だ(キーワード:発禁、生年:1930~)。出てきた検索結果
 43件のなかから、理由がズバリ書いてある文のみを適当にひろってみよう。自
 主規制、差し止めなど、「禁」にもいろいろあるけれど、お遊びなので、この際
 それらは無視だ。

   アルバム「マギス」は共産党を連想させるという理由で発禁(インドネ
   シア)/「琉大文学」を創刊したが、反米的なため発禁処分(日本)/
   '96年中国政府の“精神文明キャンペーン”で作品が批判の対象となり、
   発禁(中国)/故国の姿を赤裸々に描いた点と大胆な性描写が主要な原
   因となって、作品のほとんどが祖国では発禁(アイルランド)/独裁体
   制下で発禁(スペイン)/チャウシェスク体制に批判的な作品が多いと
   して'86年発禁処分(ルーマニア)......
 
  WHOのデータを読んだかぎりだと、やはり政治的理由による発禁が圧倒的に
 多かった。上にあげた以外でも、韓国、南ア、イラン、スリランカ、ミャンマー、
 カメルーンの作家・詩人などのデータがあり、読んでみると各国の価値観や横暴
 な政治体制が透けてみえてきて、けっこう面白い。一番やりたい放題な感がある
 のは、やはり中国。さすがだ。

  ところで、「人物ファイル横断」で「発禁」を検索してみると、著書・著者情
 報が3件ヒットする。じつはそのうちの一冊『中国農民調査』をわたしはすでに
 入手ずみだ。あとがきによると、中国のタブーを実名入りで浮き彫りにしたこの
 本はマスコミを巻き込んでの大反響を呼んだが、3ヶ月で共産党から発禁処分を
 受け、徹底的に「抹殺」されたという。さてさて。のぞき趣味の血が騒ぎます。
 淫らであってもそうでなくても、「発禁」の言葉にめっぽう弱いわたしなのです。

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