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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第45回)    坂本あおい
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夏といえば?

暑いですね。夏本番ですね。
そんな挨拶が定番となる季節がめぐってきた。ニュース番組では、暑いことが
ニュースになり、レポーターが温度計を持って、わざわざ暑い場所へ出かけて
いく。ほかにニュースはないのか? とはいえ、暑い夏が来てこそ気分の盛り
上がるものもある。海、ビール、それに――。それに、夏といえばやっぱり花
火でしょう。と、当然のように言ってみたが、日本の外を見てみると、花火は
大晦日や記念日のにぎやかしとして打ち上げられることが多く、季節とは無関
係なようす。「夏・花火・ビール」、こうしたキーワードにワクワクできるの
も、日本居住者だけの特権かもしれない。

さて、花火といえば「たまやー」「かぎやー」の掛け声を思い出す方も多いと
思うが、これはご存知、江戸の花火屋のなまえだ。鍵屋と、そこから暖簾わけ
した玉屋が隅田川のあっちとこっちで競うように花火をあげたことから、そう
した掛け声が定着したという。だから本来なら、打ち上げを担当している業者
の名前を言って応援するのが正しいということだろうけど、花火大会にいって
「××煙火工業」などと叫ぶのも、やや気恥ずかしいような。ならば、鍵屋、
玉屋の花火を見にいくしかないか。

鍵屋は今もつづいていて、15代目を引き継いだのは、なんと若い女性だそうだ。
オフィシャルサイトによれば、15代目は「ドドーン」という花火音や音響効果
にもこだわっておられるそう。花火の楽しさのひとつが音というのは、わたし
も大賛成。おおいに応援して、これからは「かぎやー」と叫びたい。

◎ 天野安喜子(花火師;柔道審判員;鍵屋取締役)
花火の宗家・鍵屋の14代目の二女として生まれる。幼い頃から父の仕事を
見て育ち、18歳から花火の現場に入る。大学卒業後家業を手伝い始め、そ
の後2年間他社の花火工場で修行。平成7年から再び家業の仕事に就く。12
年15代目を襲名。              (WHOPLUSより)

では、暖簾わけされた玉屋のほうは? 
じつは、玉屋は一代かぎりの三十数年で終わってしまったのだ。江戸版プロジェ
クトXのような苦労の末に鍵屋にも勝る花火をつくるようになり、人気も上々
だったというのに、いったいなにが起こったのか? 花火を見ながらウンチク
を語りたい人は小説『大江戸人情花火』でも読んで楽しくネタを仕入れてはい
かがだろう。これを読むと、もはや存在しないと知りつつも「たまやー」と声
をかけたくなるかもしれないが。

『大江戸人情花火』 稲葉稔著 
講談社 2007.7.3刊 \1,800(税別) ISBN978-4-06-214116-1
天下の花火屋「鍵屋」の主に新しい店を託されてから、手代だった市兵衛
は死に物狂いで駆け回った。鍵屋の大番頭の妨害に悩まされながらも、新
参の「玉屋」は鍵屋に追いつき追い越してゆく。いつも明るくて前向きな
女房・おみつのおかげだった-。ひたすら真面目に生きてきた職人に、降っ
て湧いた暖簾分けの話。恋女房と二人三脚で、「玉屋」を創った男の感動
一代記。                 (BOOKPLUSより)


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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第44回)    坂本あおい
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カラス、イロイロ

ある朝、やけにカラスが騒がしい。
電線に、電柱に、屋根に、塀に、あらゆるところに止まって、さかんに鳴きし
きっている。なにか異変でもあったのか、と思ったが、なんのことはない、あ
るマナーの悪い家のゴミが散乱しているだけだった。それにしても彼らは、あ
あいうときに「なぜ鳴くの」だろう? 餌を見つけても黙って食べれば、分け
前を減らさずにすむと思うのだけど。あの賢いといわれる頭でどんなことを考
えているのか、できることなら聞いてみたいものだ。

ところで、カラスとの交流といえば、こんな心温まるエピソードがある。
有名なオーストリアの動物行動学者コンラート・ローレンツは一羽のカラスに
とてもなつかれてしまった。カラスは博士に求愛して、口移しで虫をプレゼン
トしようとする。博士が必死に口をとじていると、仕方がないので今度は耳に
詰め込もうとしたそうだ。この愛らしいカラスはコクマルカラスという種類ら
しい。

そういえば、わたしにとってアニメ『あらいぐまラスカル』のカラスのポーも
気になる存在だった。ラスカルのライバルで、光るものを失敬する手癖の悪い
カラスだ。原作の『はるかなるわがラスカル』は著者スターリングの実体験に
基づいているらしいので、カラスのポーもきっと実在したのだろう。ちなみに
アニメのほうは今年で放映30周年をむかえ、今でも根強い人気があるらしい。
記念のイベントもひらかれているようなので、興味のある方はどうぞ。

さて、わが日本にもすばらしいカラスのキャラクターが存在する。古川日出男
の小説『サウンドトラック』に登場するクロイだ。熱帯と化した東京の神楽坂
を根城とするハシブトガラス(=jungle crow)。このクロイは愛しいと同時に
崇高さすら感じさせる存在で、カアカアではなく、「カ!」とか「ガ!」と鳴
く。カラス好きを自負する人ならシビレること請け合いだ。この小説には、べ
つの地底カラスも登場し、しまいに「アリャナンダ?」と鳴きだして……。

都会の嫌われ者のカラスだが、カラスの飛ばない空を想像してみると、それは
それで淋しいものがある。カラスたちが某知事を怒らせてミートパイにされて
しまうまえに、うまい共存の仕方が見つかるといいのだけれど。


◎ ローレンツ,コンラート(動物行動学者)
1940年よりアルベルトゥス大学比較心理学教授、第二次大戦中は軍医として従
軍し、ソ連軍捕虜となるが、'48年帰国。'49年アルテンブルクに比較行動学研
究所を設立。マックス・プランク行動生理学研究所所長を経てオーストリア科
学アカデミー行動研究所動物心理学部長。'81年同アカデミーにコンラート・
ローレンツ研究所を設立。コクマルガラス、ハイイロガンなど鳥の行動を詳細
に研究、近代動物行動学(エソロジー)の領域を開拓した。


◎ ノース,スターリング(動物文学作家)
新聞記者から文芸編集者として活躍したのち作家生活に入った。少年時代にア
ライグマと暮らしたときの回想記を「はるかなるわがラスカル」として発表、
各種賞などを受け、以後14ケ国語に翻訳される。


◎ 古川日出男(小説家)
雑誌編集のかたわら、演劇の脚本・演出に携わる。のちゲームソフト・ウィザー
ドリィのイベント演出や、同ゲームのノベライズを手掛ける。平成10年「13」
で小説家デビュー、幻想的な作風で注目を集める。
(WHOPLUSより)

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第43回)    坂本あおい
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「誰かテニスをしませんか?」

文明社会。便利になるのはいいけれど、身体を動かす機会が減ってしまうのが
難だ。わたしの場合、仕事はほとんど自宅のパソコンの前ですんでしまう。メー
ルに宅配便にインターネット。以前は2キロはありそうな紙の辞書をヨイショと
持ち上げて引いていたけれど、今では怠惰にキーボードをたたくだけだ。

こんな生活はさすがにまずい。ということで、わたしも半年前にようやく重い
腰をあげて運動をはじめることにした。テニスだ。

WHOPLUSに「テニス」のキーワードを入れてみると、出るわ出るわ。趣
味の欄にテニスと書いてある人がずいぶんとたくさんいる。やや年配の人が多
いように思えるのは気のせいか。けれど意外な若手も見つかった。国会議員の
杉村太蔵氏だ。「9年国体のテニスで優勝経験がある」のだそう。杉村氏はああ
見えてけっこう心身ともに骨太なのかもしれない。どうしよう、俄然、ステキ
に思えてきた。

わたしの実力はというと、やっとスクールの下から二番目のクラスにあがった
ところで、まだテニス競技について云々するにはほど遠いレベル。でもせっか
くなので、この機会にテニスにまつわる豆知識を調べてみた。

わたしたちがふつうにテニスと呼んでいるものは、本当はローン・テニスとい
うそうで、歴史は130年ほどと案外浅い。それ以前のテニスはルールも今とは
ずいぶんちがって、屋内で壁を利用しておこなわれており、専用の球戯室を持
つことのできるような王侯貴族の遊戯だった。古くは召使い(サーバント)が
一球目の球出しをしていた時代があり、それがサーブの語源になったとか。

また、フランス革命前夜の出来事に「テニスコートの誓い」というものがある。
わたしなどはこう聞くと、白いウェアでコートに立つ「岡ひろみ」と「お蝶夫
人」を思い浮かべてしまうが、もちろんスポ根とは関係なく、上述のような屋
内球戯場に議員が集って志を確かめあったという。場所はベルサイユ宮殿だ。

お次は英語の話。手元の英和辞典には、tennisの項に三つの例文が載っている。
“Tennis, anyone?”、“Anyone for tennis?”、“Who's for tennis?”
いずれも「誰かテニスをしませんか?」の意味で、「おどけて会話の糸口やセッ
クスの誘いに用いる」と辞書には大人の説明がついているが、要するに「一緒
にどう?」という誘いの文句だ。ハンフリー・ボガートを気取って言うと効果
的らしい。

さて、復帰した伊達公子選手や、アメリカで鍛えた錦織圭選手の活躍もあって、
今、日本ではテニスが熱い(かもしれない)。というわけで、みなさんもいか
がでしょう? Anyone for tennis?

◎杉村太蔵(衆院議員)
昭和54年北海道旭川市出身
平成17年26歳の若さで自民党から衆院選比例区に立候補し当選。山梨県連所属
となり、山梨県比例区支部長となる。

◎伊達公子(テニス選手)
昭和45年京都府出身
昭和61年全日本ジュニア(16歳以下の部)優勝。高3のときインタハイ(シングル
ス・ダブルス・団体)で優勝。63年全日本選手権4回戦で井上悦子を破ってベス
ト4になり、プロに転向。平成元年ジャパンオープン、ウィンブルドンに初出
場。2年1月全豪オープンに初出場し、日本人として13年ぶりにベスト16進出。
8年WTAツアー選手権で引退。13年カーレーサーのミハエル・クルム選手と結婚。
20年37歳で本名のクルム伊達公子で現役復帰を表明。5月カンガルー杯国際オー
プンでシングルス準優勝、奈良くるみと組んだダブルスは優勝。

◎錦織圭(テニス選手)
平成1年島根県生まれ
盛田テニス基金の援助を受け、13歳で米国にテニス留学。平成18年全仏オープ
ンジュニアのダブルスで日本男子として初の4大大会ジュニア優勝。 19年10月
AIGジャパンオープンでプロデビュー。20年2月デルレービーチ国際で、日本男
子としては松岡修造以来16年ぶりとなる世界ツアー優勝を果たす。4月デ杯の
アジア・オセアニアゾーン1部第2回戦対インド戦で、日本史上最年少で代表入
り。同月下部ツアーのバミューダオープンで優勝し、現役史上最年少の18歳3
ケ月で、世界ランキングが100以内となる。

(WHOPLUSより)

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第42回)    坂本あおい
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政界の伊達男

GWを前にちょっとイタリアを旅してきた。折りしもあちらでは総選挙がおこな
われていて、テレビをつけると、どうにも胡散臭いオヤヂの顔がチラチラと登
場する。映りの悪いテレビで見ると、とくに生えぎわのあたりが怪しげだ。ま
るでマジックでなぞったようなラインは、漫画の『ゴルゴ13』の主人公デュー
ク・東郷を髣髴とさせる。どうやら植毛の成果らしい。ついでに整形もおこなっ
たのだとか。

結局、美容の努力のおかげか、オヤヂ(=ベルルスコーニ)は選挙に勝って、
みごと三度目の首相の座を手に入れることになった。御歳は福田首相とおなじ
71歳。不動産業で身をおこし、74年に有線テレビ会社を設立したのを皮切りに
メディア界で着々と成功をおさめ、民放三局を所有して「メディアの帝王」と
呼ばれるにいたった大実業家だ。サッカーファンにはACミランの会長としても
おなじみだろう(93年の政界進出以降の経歴や活躍は、どうぞWHOPLUS
データやニュースでご確認を)。

要するにベルルスコーニは大金持ちで、サクセスストーリーを地でいくような
人物らしいのだが、黒いつながりや疑惑もささやかれている。ちなみに植毛と
整形はもはや「疑惑」ではなく、本人が会見で認めた事実らしい。目下メディ
アが好んで揶揄するのは彼の身長で、ある意地悪なコメディ番組では、ベルル
スコーニがさりげなく周囲よりも高い位置にあがる瞬間をとらえて、効果音つ
きリプレイしていた。そんな失礼なマスコミに対し、ベルルスコーニは黙って
いない。「わたしはプーチン、サルコジより背が高い!」とわざわざ反論して
いるというから、なんとも低レベルでお茶目ではないか。情報筋によればサル
コジは165、プーチンは167センチ。ベルルスコーニは、これまたわが国の福田
首相とおなじ171センチ。みなさん案外、小粒だ。

わたしは政治家好きで、イギリスのブレア前首相のファンだった。颯爽とした
感じがよかったのだけど、残念ながらだんだんヨレてきて、退陣後は姿を見る
機会自体なくなってしまった。あとプーチン大統領にも惹かれる。とらえどこ
ろのない表情と鍛えられた体つきがいい。数日前に「30歳年下の五輪金メダリ
ストと再婚」のニュースが出てショックを受けたものの、事実無根のようでひ
と安心だ。ただしこちらももうすぐ大統領職を退任するので、活躍を見る機会
は減るだろうな。仕方がない、今後はイタリアの色男ベルルスコーニに注目す
ることにしよう。

ところでWHOPLUSで遊んでいたら『イタリアは素晴らしい、ただし仕事
さえしなければ』という本が見つかった。半年前に出た新書で、第3話の章題は
ズバリ“なぜベルルスコーニなんて人が首相だったのか”。「なんて人」とい
う表現もすごいけれど、「だったのか」という過去形が、今にしてみれば皮肉
なジョークのようだ。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第41回)    坂本あおい
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国境なき話題

ちょっとした縁があり、先ごろ、中国の有名作家といっしょに鍋をつつく機会
にめぐまれた。ひとりは「中国でノーベル賞に一番近いといわれる」といわれ
る莫言氏、もうひとりは映画やドラマの原作・脚本を多く手がけている売れっ
子作家の劉震雲氏。ほかに宴の卓を囲んだのは、執筆家、アカデミズム、出版
関係の人など。さぞや知的な会合になるかと思いきや――。

酒がすすみ、箸もすすみ、舌はすべり。気がつけば通訳さんのみごとなリード
も手伝って、正午から昼下がりまで、ノンストップの下ネタ大会となってしまっ
た。また劉震雲さんは口も軽いがフットワークも軽く、ひょこひょこと席を立っ
てお酒をついでくださる。ご本人もくいくいと盃をあけ、朗らかに笑い、男女
のジョークを披露し、色男ぶりを発揮し、と大活躍だった。しかしさすが中国、
「イタリア男とイギリス女が」というようなエスニックジョークも、華南女が
山東男に手ごめにされ、とか、満州族がどうしたという具合に、国内で事足り
てしまう。あちこちで民族的なほころびが出ている問題の国ではあるけれど、
こうした笑い話を聞くぶんには、ある種の大陸的おおらかさが感じられて、こっ
ちまでのびやかな気分になった。

ところで、どうして人は猥談をするとき、あんなに生き生きとするのだろう? 
思うに、一緒に楽しいイタズラをしているような、あの共犯者めいた空気に胸
躍るのではないだろうか? 褒められたことでないのは知っているけれど、こ
の辺までなら許されるよね、という暗黙の了解。イタズラと猥談、いずれの場
合も楽しいことが前提で、気乗りしない人や、許容量の未知数な人を無理に巻
き込んではいけない。

わたしはといえば、無問題だった。なんでも自分の身に置き換えて考えずには
いられない多感な思春期はとうの昔に過ぎ、幻想は消え、年齢とともに達観が
身についた。それに職業柄、日常では絶対に口にしない単語をページに書き連
ねなくてはいけないこともある。今では、ちょっとやそっとの話では動じなく
なってしまった。だから莫言さんが「あのお嬢さんが赤くなってるじゃないか」
と下ネタと白酒の渦中にいるわたしを心配してくださったけれど、真昼のアル
コールが効いただけで、じつはどっちにも結構な耐性があるのでした。

さて、莫言さんは非常にうまい作家だ。劉震雲さんの作品もおもしろいらしく、
出せば数十万部(中国お得意の海賊版をいれればもっと)というのだが、残念
ながら小説の邦訳はないに等しい。あの愉快な華南男の作品の読める日を、わ
たしは首を長くして待っているのである。

◎ 莫 言(もー いぇん∥Mo Yan)
    '81年から執筆活動を始め、'84年に解放軍の芸術学院文芸部に入学した。'85
年「透明的紅蘿卜」で作風を確立、貧しい農村と、そこの農民を描き、"土の
においが濃厚"と評された。「紅い高梁」('86年)はチャン・イーモウ(張芸謀)
監督により「紅いコーリャン」として映画化され、ベルリン国際映画祭でグ
ランプリ受賞。中国現代文学の第一人者。

◎ 劉 震雲(りゅう しんうん∥りゅ ずんゆん)
人民解放軍の兵役を経て、北京大学に学び、作家に。日中戦争さなかの1942
年、大干ばつに見舞われた河南省の人々を救ったのは日本軍だったという史
実を描いたルポルタージュ「1942年、飢えた中国人を日本軍救った」が、
2006年に邦訳され注目を集める。
(WHOPLUSより)

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第40回)    坂本あおい
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1928(イチキュウニイハチ)

このほどバート・バカラック翁の「メモリアル・コンサート」というものを聴
きにいった。「メモリアル」とは、ちょっと縁起でもない感じもするが、御年
80歳の記念とのこと。バカラックといえば、わたしにとっては昔の人というイ
メージだった。たとえばピカソのように、わりと最近まで生きていた歴史的有
名人という感じだ。それがまだピンシャンとして活躍しておられるとは! わ
たしはコンサートがあるという情報を耳にするや、是非ともこの機にナマで見
ておかねばと思った。

名前を聞いてピンとこない方も、テレビや映画などをつうじて、おそらく数え
切れないほどバカラックの作品を耳にしていることだろう。それほど日常にと
けこんだ作曲家なのだ。なにげなく曲を聞いていて、「たまに悲しいことを言
うし疲れた顔もするけど、根は陽気で前向きなアメリカ人」を連想したとき、
あるいは、リズムや調子がふいに変わって、おふざけで肩透かしをくらわされ
たような楽しい気分がしたとき、それはバカラックの音楽かもしれない。

◎ Bacharach,Burt (20世紀)
アメリカのポピュラー音楽作曲家。『明日に向って撃て!』(1969年)の主題歌
『雨にぬれても』でアカデミー音楽賞を受賞。 
(WHOPLUS「人物レファレンス事典」より)

ところで、さっき「ピンシャン」と書いたが、じつはその描写は的確ではない。
ステージ上のバカラック翁は若々しいというより、若かった。ピアノを弾いた
と思ったら、立ちあがってオケを指揮し、また中腰で鍵盤をたたいて、アンニュ
イな歌声を聞かせ、曲が終われば女性ヴォーカルをがっしりとハグする。八面
六臂の活躍。余裕の色男ぶりである。80年も生きているというのに、まったく
なんていうことだ。

彼が生まれたのは1928年。昭和でいえば、ヒトケタ世代だ。ミッキーマウスが
この世にはじめてお目見得した年でもある。ついでに、哲学者であるわたしの
父もその年に生まれた。百大という妙な名前が古めかしく感じられるのか、
「まだ生きてるの?」と驚かれることがあるのだが、飲み歩ける程度に元気だ。
バカラックのような颯爽とした雰囲気が皆無なのが悲しいところではあるが。

WHOPLUSによれば、同い年はほかにかつてマドンナ旋風を巻き起こした、
もと社民党党首の土井たか子さん、「世界の旅」でおなじみの兼高かおるさん、
近年では政治関連の著書も目立つ言語学者のチョムスキー氏、映画「日の名残
り」のジェームズ・アイボリー監督など。80歳とは、歴史と今との両方を背負っ
た貴重な世代といえそうだ。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第39回)    坂本あおい
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好奇心でツワモノが死ぬ

「好奇心で猫が死ぬ」という言葉がある。なんでもかんでも興味本位に首をつっ
こむと危険な目に会うということだ。わたしは猫でもないし、死んでもいない
が、穴があればのぞきたくなるし、鼻が曲がるほど臭いといわれれば嗅ぎたく
  もなる。わたしの人生の一番の原動力は、未知のものへの好奇心なのだ。

そんなわたしに、さる紳士から招待状が届いた。
「大晦日にシュールストレミングを開けますが、食べにきませんか?」

このシュールストレミング(シュール・ストレンミングなどとも表記)とは、
ご存知の方も多いと思うが、世界一臭い食べ物といわれる、生魚を醗酵させた
缶詰食品のことである。室内で開けると大変だとか、食べたあとも腹のなかで
醗酵しつづけるので注意しろだとか、もろもろの配慮が必要な手ごわい食べ物
なのだ。

ちなみにWHOPLUSのデータのなかで、この食品名で検索してヒットする
人物がいるとすれば、この人をおいてないだろう。というより、この先生の著
作を読んで、臭魚缶のことを知った方も多いのでは?

◎ 小泉武夫(こいずみ・たけお) 東京農業大学応用生物科学部教授
造り酒屋に生まれ、小学生の頃から"食の冒険家"を自称、大学時代臭い珍味に
興味を持ち、昭和50年から世界を食べ歩く。スウェーデンの「シュール・スト
レンミング」、金沢の「フグ卵巣の糠漬け」、沖縄のドリアン、中国の白酒(パ
イチュウ)などの記録が“臭みのグルメ帳”にメモされている。
(データベース「WHOPLUS」より)

さて、わたしは「なにが楽しくて大晦日に?」と思いつつも、いそいそと出か
けていって、開缶の儀式に立ち会った。果たせるかな、その臭さ相当に強烈で
あるにはちがいないけれど、種類としては未知のものではなかった。むかしな
がらの「肥料」の匂いにパンチをきかせた感じで、我慢の限界内。とはいえ嗅
ぐのと食べるのとは別問題だ。わたしは魚の生臭みがダメで、半切れでギブアッ
プ。もしあれを食す予定の方がいらっしゃるなら、玉ねぎのスライスや、魚向
けの香草を用意することをおすすめする。小泉先生の"臭みのグルメ帳"にもあ
る白酒と合わせると、なぜか、味も匂いもマイルドに感じられるということも
付記しておこう。

ところで、わたしとは逆に、匂いはダメだが食べてみたら美味しいといって、
缶の半分ほどを平らげたツワモノがいた。けれどどんな不幸なことが体内で
おこったのかは知らないが、宴なかば、夜はこれから、という時間に唐突に
帰ってしまった。シュールストレミングによる討ち死に者が出てしまったと
いうことだろうか。おそるべしだ。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第38回)    坂本あおい
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地球温暖化と毛皮問題

ほんとうに地球は温暖化の過程にあるのか、二酸化炭素削減の対策は、どれほ
ど効果的なのか――。天邪鬼のわたしは、正直、こうした懐疑論にワクワクす
るのだけど、今年からは「温暖化反対!」「暖房の節約!」と言ってみたいと
思う。なぜなら、毛皮のコートを着たいからだ。

去年ヨーロッパにいったとき、ある家族から毛皮のロングコートをゆずられた。
狂信的な動物愛護グループが毛皮女性に危害を加える事件があったとか、趣味
やサイズが合わないとかで、一家の女たちはだれも着たがらないのだ。「じゃ
あ、もらって帰るよ」とわたしが言ったときの、みんなのホッとした顔! そ
うとう悩ましい箪笥のこやしだったにちがいない。

かくして、わたしは自分のダウンコートをカバンに押し込み、ジーンズの上に
毛皮のコートをはおって颯爽と帰ってきた。経由地のモスクワまでは違和感は
なかったのだが、小春日和の成田についたとたんに、妙に気恥ずかしくなり……。

あれから一年。毛皮のコートはうちの箪笥のすみっこで出番を待ちつづけてい
る。気張って着ると、学芸会の王様役のように見えなくもない。できれば防寒
具といった感じでサラリと着たいのだけど、東京の冬はどうにも暖かすぎる。
やはり、このまま箪笥のこやしにもどるのか? 

毛皮のコートというのは動物愛護の観点からして確かに問題をふくんでいるし、
歴史やその他の面から見ても無下にできない品だ。かつては毛皮獲得のために
大小の争いが起こり、巨額の富が動いたことだろう。WHOPLUSに「毛皮」
の検索語をいれて調べてみると、18世紀前後の毛皮商人の多くが、同時に探検
家の肩書きを持っていたことがわかる。前人未到の地へのチャレンジというよ
り、ひと山あてるために冒険をした人も多かったにちがいない。おなじキーワー
ドで引っかかってきた筑波大学歴史・人類学系教授の木村和男先生の著書は、
その辺の事情に詳しそうだ。

『北太平洋の「発見」―毛皮交易とアメリカ太平洋岸の分割』
木村和男編著 山川出版社 2007.4刊
【要旨】
ロシア、スペイン、イギリス、フランス、アメリカ各国の、先住民をも
巻き込んだ探検と交易をめぐる熾烈な競争と、北米海岸地域の領土分割
への道筋を、ソフト・ゴールドと呼ばれたラッコをキーワードに読み解
く知られざる世界史。それは日本開港への北からの衝撃でもあった。

さて、この大事な毛皮のコート、おいそれと着ることもできないが、かといっ
ておいそれと処分することもできない。生かすためには、暑くても擦り切れる
まで着るべきだろうか? しかし、暖房のきいた地下鉄やデパートなどは、きっ
と拷問だろうな。みんな外出用の冬服を着ているのだし、ひとつ、今後は暖房
ひかえめのエコでお願いします、空調の担当者各位。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第37回)    坂本あおい
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青年クライシス

少し前にボクシングの亀田青年が反則行為をやらかして世間を騒がせたとき、
お父さんやテレビの人がその行為に言及して「若さ」という言葉を使っていた。
18歳とはいえ、かりにもプロテストという通過儀礼を経験した彼だ。いったい
どれだけ若いといえるのだろう? 興味本位で公式サイトの本人のブログを読
んでみた。兄のことを「お兄ちゃん」と書いてしまうあたり、すくなくともリ
ングの外ではまだ幼いようだ。あれだけ粋がっていたことを考えると、カワイ
イというか、あやういというか。

18歳。そういえばあの歳のころは、子どもの自分と大人になったと自負する自
分が同居する、とてもアンバランスな時代だったように思うのだが、何分むか
しのことで忘れてしまった。なので青春の葛藤の代弁者、尾崎豊の歌をヒント
にしてその年頃を考察してみたい。まず15歳では「自分の存在が何なのかさえ、
わからず震え」て、行く先もわからぬまま「盗んだバイクで走り出す」(〈15
の夜〉より)。そして「17のしゃがれたブルースを聴きながら」、「少しずつ
いろんな意味がわかりかけて」(〈17歳の地図〉)、「まとまった金をため、
ひとり街飛び出して」いくことにした19になって、親父の語る昔話の意味がわ
かるようになる(〈坂の下に見えたあの街に〉)。自我に目覚めて社会に反発
し、まわりと折り合いをつけていくことを学び、父を踏み越して自立する、と
いったかんじだろうか。なるほど、大変な成長過程だ。わたしは彼が〈卒業〉
で歌った学校に通ったのだけど、尾崎に感化され、木に登って「自由になりた
くないか!」と絶叫した男子生徒もいた。青かった。

◎ 尾崎豊(おざき ゆたか)〔故人〕
昭和40年11月29日 - 平成4年4月25日 没年齢=26歳
昭和57年高2の時CBSソニーのオーディションに合格。高校卒業の直前に中退し、
58年シングル「15の夜」、アルバム「17歳の地図」でデビュー。60年「卒業」
が大ヒット。中高生の挫折感や不満感を歌い、カリスマ的存在となる。
(データベース「WHOPLUS」より)

さて、ハタチすぎれば落ち着くのかと思うとそうではないらしい。〈失楽園〉
で有名な17世紀イギリスの詩人ミルトンは〈On His being Arrived at the Age
of Twenty-Three(23歳になって)〉という詩を書いているが、そこでもまだ
悩んでいる。「時」がひそかにぼくの青春を翼にのせて盗み、23歳になってし
まった。内面は成熟しているのに、ぼくの遅い春はまだ蕾も花もみせていない。
そんなふうな言葉で、心の焦りや自信をソネットにつづっている。青年と大人
の境目でもがく若者、ここにありだ。

ところで今回のタイトルは、河合隼雄著『中年クライシス』から拝借した。
本の紹介によれば、「最も意気盛んな安定期に見えて、中年ほど心の危機をは
らんだ季節はない―」とのこと。人間は青年をすぎて大人になっても、まだま
だ大変なようだ。

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第36回)    坂本あおい
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いつでも、だれかが誕生日(1/365の日のこと)

すこし前、同級生の女4人で集会をおこなった。そのうちの一人の俊子ちゃん
  (仮名)は、ザ・ドリフターズのリーダーだったいかりや長介さんとおなじ11
  月1日が誕生日。幅広い年代に愛された、「オイッス!」でおなじみの長さん
は、わたしたちの会でもネタになる。というより、わたしが好きなネタである。
この日も、シケた恋愛談義などをしていたのが、いつのまに長さんの追悼の会
のようになった。
  「いいキャラだったよね」
  「俳優としてもいい味出してたのにね」
  「早く亡くなって、残念だったね」

  ところでこの日、俊子ちゃんとわたし以外の2人が、自分とおなじ誕生日の有
名人を一人も知らないことが判明した。若者と接する機会の多い俊子ちゃんに
よると、彼らはこういうときにはさっと携帯を出して調べるそうだ。誕生日ネ
タは、話のキッカケとして定番だとか。でも、わたしたちは若者ではないから、
  「ふーん、知らないんだ」とかなんとか言いつつ、いつのまにか別の話題にう
  つっていった。たとえば、最近白髪が出てきたとか、運動不足だとか、そんな
  話。

  さて、せっかくわたしにはWHOPLUSがあるのだから、彼女たちとおなじ
誕生日の人をさがしてみることにした。それぞれの誕生日で検索すると、300人
以上のヒット。ずいぶんたくさんいるなあ。毎日だれかが生まれているわけだ
から、当然といえば当然だ。ともかく、わたしは友達甲斐のあるところを発揮
して、その膨大ななかから有名どころを拾ってみた。

まず4月21日生まれのTちゃん。おなじ日に生まれたのは、エリザベス・アレク
サンドラ・メアリー。イギリスのエリザベス女王その人だ。あんな高貴なお方
とおなじ誕生日とは、うらやましい。あとは元プロボクサーの輪島功一さん。
今度Tちゃんに会ったら、こっちだけ教えてあげることにしよう。

そして8月29日生まれのMちゃん。「君の瞳に乾杯」される、女優イングリッ
ド・バーグマンといっしょだ。でも、今度会ったら、ペ・ヨンジュン氏(ヨン
様)のほうを教えることにしよう。もうすぐマフラーの季節だしね。

365分の1の誕生日は本人にとっては無条件にスペシャルなもの。でも、ひねく
れもののあなたのためには、こんな歌もある。ディズニー・アニメ『ふしぎの
国のアリス』の「The Unbirthday Song(お誕生日じゃない日のうた)」だ。
一年のうち誕生日は1日だけど、誕生日じゃない日は364日もある。その日を祝
えば、年がら年中おめでたい、というわけだ。そこのあなた、お誕生日じゃな
い日、おめでとう! ついでにお誕生日の人も、おめでとう! 今日も、あし
たも、あさっても、なんだか楽しくなりそうな予感がしませんか?                 

◎ 坂本あおい(サカモト,アオイ) 文芸翻訳家 1971年東京都生まれ
主な訳書に『ねじの回転-心霊小説傑作選-』(創元推理文庫)、『熱い
指、冷たい唇 』(ヴィレッジブックス) 、『誘惑のトレモロ』(二見書房 
ザ・ミステリ・コレクション)、『新アラビア夜話』(光文社古典新訳文
庫)などがある。雑誌他にエッセイを発表するなど“ホソボソ”と活躍中。

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なデータブックです。友人や自分の誕生月日で引くと、80人を越える有名人
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人物やマンガのキャラクターも収録しています。
1年367日(閏年の2月29日と旧暦の2月30日を含む)ごとに、暦情報と誕生日
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