人物・文献情報データベースWHOPLUSの“人物”をテーマにしたブログです!
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
-------------------------------------------------------------------------
【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第25回) 坂本あおい
-------------------------------------------------------------------------
この野菜がおいしくいただけるのは
鍋料理の季節がやってきた
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
寒くなってくると、がぜん出番が多くなるのが、鍋料理ではないだろうか。水
炊き、ちゃんこ、石狩鍋に新顔の豆乳鍋。最近では中華系の火鍋や薬膳鍋を出
す店もふえてきた。みんなでひとつの鍋をつつく、あの一体感。会話もはずみ、
身も心もホカホカして、ああ、幸せだなあ。そんな各種の鍋料理に欠かせない
のが白菜だ。スープの色にそまり、ほかの具材にしっかりとよりそってくれる、
名脇役。ということで、今回はこの野菜にスポットをあててみたいと思う。
白菜はデリケートな野菜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
白菜は、すっかり食卓にとけこんでいる感があるが、日本に定着したのは、そ
れほど昔のことではないらしい。古くは秀吉時代のあたりから、大陸方面より
持ち込まれたが、土着の野菜とまざり消えてしまった。特に日清・日露戦争の
ときには、こっそり種を日本に持ち帰る兵士も多かったようだけれど、せっか
く栽培に成功しても、種をとってまくとべつの野菜に化けてしまう。これには
みんな、ガッカリだった。
じつは白菜には交雑しやすい性質があって、白くて葉っぱのキュッととじた清
純な白菜を育てても、いつのまに、どこぞの種がまざって、カブやナタネなど
との交雑種が生まれてくる。うらで悪さをしていたのはミツバチだった。彼ら
がせっせと花粉をはこんでくるので、種がまざってしまうのだ。
仙台白菜の生みの親
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そこで、白菜を離島でそだてるというナイスなアイディアを考えついた人がい
た。沼倉さんという人である。
なぜ、わたしがこんな話を知っているかというと、この沼倉さんは知人のご先
祖さまだからだ。もちろん、WHOPLUSにも載っている。一部を抜粋して、
沼倉さんの成功の軌跡をたどってみよう。
◎ 沼倉 吉兵衛 安政6年陸奥国(宮城県登米町)生まれ、昭和17年没
農業技師
仙台白菜の生みの親
日清戦争に従軍した第二師団の兵士により同校に寄贈された白菜の栽培に着
手。明治39年伊達家養種園技師を兼務、本格的に結球白菜の栽培と採種法を
試みる。カブやアブラナなどとの花粉の交雑をさけるため離島での栽培を行
い、大正3年優良な種子の大量採種に成功。11年松島白菜として初めて農家
に配布、12年には東京市場への出荷された。仙台から出荷されたため"仙台
白菜"と呼ばれ、全国に知られた。
(データベース「WHOPLUS」より)
わたしはいわゆる鍋奉行ではないので、いつも、いたって従順に、おとなしく
鍋を食べているのだけど、この手の話をたくさん仕入れてしまうと、鍋のウン
チク屋になってしまいそうでこわい。「知ってる? 白菜って…」、「しゃぶ
しゃぶ鍋のルーツはね…」とかなんとか。うっとうしがられないように、気を
つけねば。
【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第25回) 坂本あおい
-------------------------------------------------------------------------
この野菜がおいしくいただけるのは
鍋料理の季節がやってきた
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
寒くなってくると、がぜん出番が多くなるのが、鍋料理ではないだろうか。水
炊き、ちゃんこ、石狩鍋に新顔の豆乳鍋。最近では中華系の火鍋や薬膳鍋を出
す店もふえてきた。みんなでひとつの鍋をつつく、あの一体感。会話もはずみ、
身も心もホカホカして、ああ、幸せだなあ。そんな各種の鍋料理に欠かせない
のが白菜だ。スープの色にそまり、ほかの具材にしっかりとよりそってくれる、
名脇役。ということで、今回はこの野菜にスポットをあててみたいと思う。
白菜はデリケートな野菜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
白菜は、すっかり食卓にとけこんでいる感があるが、日本に定着したのは、そ
れほど昔のことではないらしい。古くは秀吉時代のあたりから、大陸方面より
持ち込まれたが、土着の野菜とまざり消えてしまった。特に日清・日露戦争の
ときには、こっそり種を日本に持ち帰る兵士も多かったようだけれど、せっか
く栽培に成功しても、種をとってまくとべつの野菜に化けてしまう。これには
みんな、ガッカリだった。
じつは白菜には交雑しやすい性質があって、白くて葉っぱのキュッととじた清
純な白菜を育てても、いつのまに、どこぞの種がまざって、カブやナタネなど
との交雑種が生まれてくる。うらで悪さをしていたのはミツバチだった。彼ら
がせっせと花粉をはこんでくるので、種がまざってしまうのだ。
仙台白菜の生みの親
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そこで、白菜を離島でそだてるというナイスなアイディアを考えついた人がい
た。沼倉さんという人である。
なぜ、わたしがこんな話を知っているかというと、この沼倉さんは知人のご先
祖さまだからだ。もちろん、WHOPLUSにも載っている。一部を抜粋して、
沼倉さんの成功の軌跡をたどってみよう。
◎ 沼倉 吉兵衛 安政6年陸奥国(宮城県登米町)生まれ、昭和17年没
農業技師
仙台白菜の生みの親
日清戦争に従軍した第二師団の兵士により同校に寄贈された白菜の栽培に着
手。明治39年伊達家養種園技師を兼務、本格的に結球白菜の栽培と採種法を
試みる。カブやアブラナなどとの花粉の交雑をさけるため離島での栽培を行
い、大正3年優良な種子の大量採種に成功。11年松島白菜として初めて農家
に配布、12年には東京市場への出荷された。仙台から出荷されたため"仙台
白菜"と呼ばれ、全国に知られた。
(データベース「WHOPLUS」より)
わたしはいわゆる鍋奉行ではないので、いつも、いたって従順に、おとなしく
鍋を食べているのだけど、この手の話をたくさん仕入れてしまうと、鍋のウン
チク屋になってしまいそうでこわい。「知ってる? 白菜って…」、「しゃぶ
しゃぶ鍋のルーツはね…」とかなんとか。うっとうしがられないように、気を
つけねば。
PR
Comment