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編 集 後 記                  ― 「サンバ両さん」負傷
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墨田区総合体育館内にできた王貞治記念顕彰コーナーと、ついに東京タワーの
高さを抜いた東京スカイツリーを観に行ったついでに、『こち亀』関連の銅像
の数が増えたという亀有まで足を伸ばした。
ちょうどその直前に、酔客によって左手首が壊されたという「サンバ両さん」
像には痛々しく包帯が巻かれ、負傷の経緯を説明した看板がぶら下げられてい
た。その後のニュースによるとゴールデンウィーク直前に、両手首とも前より
太く修繕したそうなので、つかの間の貴重な姿を観ることができた。
                                                        (袴)

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【2】話題のカタマリ(第71回)   ― ゴールデンタイムに駆り出されたのは
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4月の番組改編で、爆笑問題のテレビ朝日系『クイズ雑学王』が古巣の深夜バラ
エティ枠に戻ってきたので、毎週観られるようになった。爆笑問題・太田が、
回答席の伊集院光や東貴博をイジる間合いなどは、やはり深夜帯にふさわしい
と思う。

一方テレビ東京系が、『田舎に泊まろう!』終了後の日曜ゴールデンタイム枠に
木曜深夜枠の『モヤモヤさまぁ~ず2』を駆り出してきたのには、正直度肝を抜
かれた。『田舎に...』のように“今夜の寝床は決まるのか”といったスリリン
グ性もなく、NHKの『ブラタモリ』のように歴史や地誌的な知識が得られるわけ
でもなく、さまぁ~ずと大江麻理子アナの3人が、ただ街を歩き回って放映時間
分の映像を撮るだけ(番組内の用語で“撮れ高を稼ぐ”と呼んでいる)のバラ
エティだからだ。

これまでのゴールデンタイム放映回を観たところでは、モグラが明るいところ
に引っ張り出されてきたような感じがしてならないのだが、深夜放映の頃には
番組途中で寝てしまうこともあったので、私的には大河ドラマを観る前の箸休
めとして気にいっている。

昨年の夏ごろ『モヤさま』ご一行が、弊社近辺の街歩きをした模様が放映され
たのだが、番組終盤にお約束で入る喫茶店に選ばれたのが、何と弊社から歩い
て10歩のところにある店だった。その撮影場面にちょうど帰宅時に出くわして、
本当に夕刻まで1日歩いて“撮れ高”を稼いでいるんだなと感心したものだ。

◎ さまぁ~ず(旧コンビ名=バカルディー)
大竹一樹・三村マサカズともに昭和42年東京生まれ
昭和63年“バカルディー”を結成。平成12年ウッチャンナンチャンの冠番組
「新ウンナンの気分は上々。」でコンビ名を賭けた対決に敗れ、“さまぁ~
ず”に改名すると、大竹のボケに、三村の「~かよ!」のツッコミで人気と
なる。ネタ本「さまぁ~ずの悲しいダジャレ」「さまぁ~ずの悲しい俳句」
もベストセラーに。主なレギュラー番組は「笑っていいとも!」「Qさま!!」
など。
                            (WHOPLUSより)

(袴田)

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【1】WHO's NEW?     -WHOPLUS新着プロフィール情報
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◎ 草場一壽(絵本作家;陶彩画家)
昭和62年より焼き物の里、有田で「陶彩画」の模索と研究を始め、平成2年絵付
けと焼成を幾度となく繰り返しながら色を出す、新技法を確立。3年今心工房を
開き、以後個展を多数開催。また命の尊さをテーマにした絵本「いのちのまつ
り―ヌチヌグスージ」も手掛ける。              (2010.3.16)

◎ 春遍雀来(漢字研究家;翻訳家)
子どもの頃、イスラエル、フランス、ブラジル、アメリカと移り住んだため、
ヘブライ語、英語など14ケ国語を話す。のちに日本語の独学を始め、1973年妻
とともに来日。工業技術書の和英翻訳を手がける一方、ベストセラーとなった
「ユダヤ人の頭・日本人の頭」などを執筆。また来日以来漢英字典の編著にも
取組み、'90年「新漢英辞典」として刊行。           (2010.3.19)

◎ 藤野稔寛(徳島県立高等学校教諭;図形点訳ソフト「エーデル」の開発者)
数学の教材作りの際にテスト用紙に図形やグラフを入れることに不便を感じた
ことから、プログラミングを独学して図形点訳ソフトを製作。“絵が出る”に
ちなんで「エーデル」と命名し、その後改良・拡張を行った結果、使いやすさ
が評判を呼んで利用者が広まり、平成21年視覚障害者たちの生活を支援したと
してヘレンケラー・サリバン賞を受賞。             (2010.3.19)

◎ 林望(作家;書誌学者;国文学者)
昭和55年東横学園女子短期大学専任講師、60年助教授を経て、平成5~11年東
  京藝術大学助教授。この間、ケンブリッジ大学客員教授、全欧州所在日本古典
  籍総目録編纂プロジェクト主幹も務めた。平成3年には「イギリスはおいしい」
  で日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。能楽解説も多数手掛けるほか、「源氏
  物語」の現代語訳に取り組み、22年「謹訳 源氏物語」の刊行を開始。                                        (2010.4.8)

◎ 天童大人(詩人;朗唱家;字家)
昭和58年から北海道で吉増剛造らと「北ノ朗唱」を、62年から福岡で伊藤比呂
美らと「南の朗唱」を開催。第7回メデジン国際詩祭に日本代表として参加した
他、世界各地で朗唱会を開催。平成18年より詩の朗読イベントプロジェクト
“La Voix des poetes”(詩人の聲)をスタート、毎回1人の詩人に1時間余り
自作詩を朗読してもらうイベントを続ける。           (2010.4.12)

◎ 宮山麻里枝(映画監督)
平成7年渡独。ミュンヘン大学演劇学科を経て、10年ミュンヘンテレビ映画大学
監督学科初の日本人学生となる。日本とドイツの文化をつなぐ映画にこだわり、
20年卒業制作として撮影した日独合作の初長編「赤い点」がドイツ映画奨励賞、
ウィリアム・ディーテレ映画賞を受賞するなど、各国の国際映画祭で高い評価
  を受けた。                          (2010.4.16)

   (回答順、敬称略)

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編 集 後 記                    ― 「ラー油」ブーム
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桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」(通称:桃ラー)が、ネット発信
の口コミで旨いと評判になり、ここ数ヶ月間は品薄状態が続いていた。
ところが、最近のラジオやテレビでは「品薄になっているほど旨い」と、更に
追い討ちをかけるような紹介をするものだから、とうとう店頭から消えてしま
い、桃屋のお詫び文面も更新となった。日本国中が油をなめる妖怪になったの
  か。                                                    (袴)

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【3】話題のカタマリ(第70回)      ― 「全日空寄席」のCD発売に思う
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飛行機で旅に出る時は、機内番組で落語チャンネルを聴くことが多い。しかし、
流れる演目は案内放送の割り込みでたびたび中断されるので、まるまる一つの
ネタをゆっくり聴けないのが残念だ。
ところが、ついにコロムビアから『笑う全日空寄席』が2タイトル発売された。
その収録内容は、

『笑う全日空寄席(1)』
「堪忍袋」三遊亭遊雀
「漫才」昭和のいる・こいる
「新・八五郎出世」立川志の輔

『笑う全日空寄席(2)』
「寿の春」三遊亭歌之介
「火焔太鼓」橘家圓蔵
「禁酒番屋」五代目 柳家小さん

と、それぞれ豪華な顔ぶれである。

『全日空寄席』記念すべき第1巻の最初の演者が、三遊亭遊雀であるのは象徴的
である。なぜなら、彼は知る人ぞ知る飛行機マニアだからだ。
彼の前名・柳家三太楼の時代に、同好の士である柳家三之助とともに航空関係者
を取材した著書『オールフライトニッポン』(風濤社)が刊行され、それが縁で、
成田空港近くにある航空科学博物館で毎年1回、航空寄席を開催しているほどで
ある。

しかし『オールフライト...』刊行後、三太楼は師匠の権太楼から破門にされて
しまった。約1年のブランクが続いた後、現在の師匠である三遊亭小遊三の門下
に移り、現在の遊雀になったという経緯がある。

CD発売にあたって、演者選定の裏事情は知らないが、これは全日空からのご返礼
という形なのかもしれない。

◎ 三遊亭遊雀(落語家)
昭和40年千葉県出身
学生時代に落語研究会に入り、老人ホームの慰問活動などを行う。大学を中退
し、昭和63年柳家権太楼に入門、前座名さん太。平成3年二ツ目に昇進し、三
太楼。13年真打ちに昇進。18年三遊亭小遊三一門に移り、三遊亭遊雀を名のる。

◎ 柳家三之助(落語家)
昭和48年千葉県出身
平成7年10代目柳家小三治に入門、前座名ごん白。11年二ツ目に昇進、三之助
と改名。落語協会のホームページを手がけるなどITに詳しい。

                            (WHOPLUSより)

(袴田)

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【1】WHO's NEW?     -WHOPLUS新着プロフィール情報
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   2/15~3/3 までにプロフィールが更新された著名人はこちら!

― ( )内の日付はご本人によるプロフィール回答年月日です ―


◎ まつもと泉(漫画家)
昭和56年「週刊少年ジャンプ」のフレッシュジャンプ賞に入選してデビュー。
59年から同誌に学園ラブコメディ「きまぐれオレンジ★ロード」を連載、大
ヒットしてアニメ化もされた。平成11年から原因不明の症状に悩まされ、活
動を中断。16年脳脊髄液減少症であることが判明し、漫画家として再び活動
を始める傍ら、同病の啓蒙にも取り組む。           (2010.2.15)

◎ 前村直昭(プロキャディー,JOYX代表取締役社長)
米国への語学留学中、プロゴルファーの伊沢利光と知り合い、親交を結ぶ。
帰国後、平成9年から本格的に伊沢のキャディーとして活動。18年プロゴル
ファーのマネジメントを行うJOYXを設立。自身はキャディーの仕事に専念し、
小田孔明、広田悟などのプロ選手をサポートする。        (2010.2.16)

◎ 高橋智隆(ロボットクリエーター,東京大学先端研特任准教授)
京都大学在学中からロボット開発を始め、企業よりロボット玩具が商品化さ
れる。平成15年卒業と同時に、ロボ・ガレージを操業し、京都大学学内入居
ベンチャー第1号となる。自身で技術開発・設計・デザイン・製作・発表まで
を一貫してこなすロボットクリエイターを名乗り、国内外で活動。代表作「ク
ロイノ」は米TIME誌の「Coolest Inventions 2004」に選定された。
(2010.2.17)

◎ 大河内直彦(海洋研究開発機構海洋・極限環境生物圏研究領域プログラ
ムディレクター)
平成14年海洋研究開発機構地球内部変動研究センター地球古環境変動研究プ
  ログラム研究員などを経て、21年同機構海洋・極限環境生物圏研究領域プロ
  グラムディレクター。生物地球化学を専門とし、クロロフィルやアミノ酸な
  ど各種有機化合物を用いた、過去および現在の地球環境の解明法の開発およ
  びその応用の研究にあたる。                                (2010.2.22)

◎ 山崎哲秀(極地探検家)
  高校時代、冒険家・植村直己の著書「青春を山に賭けて」と出会い、探検家
  に。昭和63年20歳でアマゾン河単独イカダ下り4700キロに成功。平成18年か
  ら犬ぞりによる北極圏環境調査プロジェクト「AVANGNAQ(アバンナット)」
  (10ケ年計画)に取り組む。                                 (2010.3.1)

◎ 井下田成司(ファッションデザイナー,LESS PLUS DESIGN代表取締役)
エスモードジャポン東京校で学んだ後、イッセイ・ミヤケに入る。“A-POC”
を担当し、渡仏。ここで同じイッセイ・ミヤケに勤務していた加藤良子と出
会い、二人で組んで、ブランド“レプ・ラス”を立ち上げ、平成20年“2009
年春夏・東京コレクション”でデビュー。           (2010.3.3)

◎ 加藤良子(ファッションデザイナー,LESS PLUS DESIGN取締役)
神戸市の服飾専門学校からパリ・サンディカ校に編入。和紙や新聞紙、パン
の包み紙などを素材にしたドレスなどで高い評価を受け、イヴ・サンローラ
ンのアトリエに入る。帰国後、イッセイ・ミヤケに勤務。再び渡仏した際に、
同じイッセイミヤケにいた井下田成司と出会い、二人で組んで、ブランド
“レプ・ラス”を立ち上げ、平成20年の“2009年春夏・東京コレクション”
でデビュー。                        (2010.3.3)

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第64回・最終回)
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五年一昔

わたしがいままで会った一番の有名人は、たぶん、ゴルバチョフ元大統領だ。
講演会の前にお茶を出したというだけの話だが、さすがの風格で、下々にまで
笑顔を忘れず、あたたかく握手をしてくれて、ちょっと感動した(おかげで、
頭のシミを見るのを忘れてしまった)。

しかしあまりに無防備で、もし、わたしが危険なスパイだったらどうするのか
と心配になったが、考えてみれば、氏が現役だったのははるか昔のこと。グラ
スノスチだとかペレストロイカだとかいうロシア語が、いまでは懐かしい呪文
のように感じられる。「WHOPLUS」の「経歴」からひろうと、「'85年3
月党書記長」、「'89年5月、(中略)最高会議議長に選出され(中略)実質統
括権を持つソ連の最高指導者」「'90年3月大統領制を導入し初代大統領に就任」
とある。役職がややこしいが、つまり、一番活躍をしていたのは、ちょうどい
まから四半世紀前ということになるだろうか。

◎ ゴルバチョフ,ミハイル(政治家;ゴルバチョフ基金総裁)
1931年ソ連・ロシア共和国スタブロポリ州生まれ
1952年ソ連共産党に入党。'85年3月党書記長、'88年10月には最高会議幹部会
議長に就任。国内では"ペレストロイカ"(改革)に励み、外交にあっては"ノー
ボエ・ムイシュレーニエ"(新思考)を旗印に新しいイニシアチブを打ち出す。
'90年3月大統領制を導入し初代大統領に就任。同年ノーベル平和賞受賞。'91
年12月ソ連邦が解体するとともに大統領を辞任。  (WHOPLUSより)

あれから時代は変わった。巨大な国家、ソ連は消えてなくなった。人民服と自
転車とパンダのイメージの中国も、もう、どこかへいってしまった。かつては
環境問題といえば、身近な公害や酸性雨などが話題だったが、いまは温暖化の
議論が熱い。四半世紀の変化というのは、なかなかすさまじいものがある。

ところで、わたしがこのコラムを書くようになって、すでに5年以上がたち、今
回、最終回をむかえることになった。

このたった5年のあいだにも、気づいてみると、さまざまな変化があった。自民
党が破れ、アメリカには黒人のリーダーが登場した。家のテレビも薄くなった
が、街の信号機も、いつの間にLEDの薄いものが主流となった。

わたし自身はといえば、当時は言葉すら知らなかった「アラフォー」という年
代に足をつっこむことになり、記憶力がメキメキと落ちて、5年前を思い出すこ
とさえ、難儀になった。

そうそう、「個人情報保護法」施行により、「WHOPLUS」の環境に変化
があったのも、この5年のうちだ。それにメールやウェブを利用した情報発信の
方法も、いまなお、猛スピードで変わりつつあって、こうしたメールマガジン
からは、ややアナログ的な香りが漂うようにもなってきた(らしい)。

さあ、この先の5年では、いったいどんな変化があるのだろう? 楽しい驚きに
満ちた未来に思いをはせながら、長きにわたりお付き合いくださった読者のみ
なさん、担当者の方々に感謝して、この場を去りたいと思います。ありがとう
ございました。

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編 集 後 記                    ― テレビの影響力
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腰痛治療に通っている整骨院が、あるバラエティ番組の取材を受けて、3分程度
放映されたらしい。某・女性芸人がヒザ痛で悩んでいたところ、この整骨院で
数十分の治療を受けたら階段の上り下りが楽になった、という話だったとか。
すると、その翌週から予約電話が殺到して、中には沖縄から問い合わせが来た
らしい。
テレビの影響力というものを身近で実感したエピソードであった。
(袴)

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【3】話題のカタマリ(第69回)           ― 強面なのに虚弱体質
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バンクーバー五輪・女子フィギュアスケートの生中継は、ちょうど仕事中で観
られなかったが、終わってみれば男女とも入賞者にアジア勢が並んでいる図と
いうのは、札幌五輪でジャネット・リンが舞っていた時代からすると隔世の感
がある。

また今大会では、出場選手が演技に使う選曲の個性が目立ったと思う。クラシッ
ク曲以外では、キム・ヨナの「007のテーマ」、高橋大輔の「道―ジェルソ
ミーナ」、織田信成の「チャップリン・メドレー」といったスタンダードな映
画音楽からの選曲が多い中、小塚崇彦の選曲は、ショートプログラムでジミ・
ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」、フリーはマイケル・ケーメン作曲、布袋
寅泰演奏の「ギター・コンチェルト」と異色だった。

布袋自身のブログによると、小塚の出場場面はこの曲のレコーディング風景を
思い出しながらテレビで観ていたようだ。小塚が採点を待っている時に汗を拭っ
ていたタオルは、布袋がプレゼントしたツアーグッズだとか。
さて、本来ならば、全国ツアーを終えて一息ついているはずの布袋は、先月上
旬に愛犬と庭で遊んでいて段差につまずき、左手関節及び左肘関節の靱帯損傷
でツアーの残り2公演を中止していたのだった。
ツアー中止のニュースに関連して掲載されていた、布袋の怪我歴が興味深かっ
た。

1992年:山下久美子との夫婦喧嘩が原因?でベッドを叩いて右手骨折、
公演延期。

1996年:リハーサル中に右鎖骨を骨折、公演延期。

2002年:今井美樹の父の葬儀で宮崎に行ったときに、酔って転倒し頭蓋骨
骨折、全治2カ月。

2009年:愛犬の散歩で足を捻挫。

2009年1月の当コラムでは『骨折注意報』と題し、塚地武雅、テリー伊藤など、
当時の芸能界で頻発していた骨折の動向を紹介したのだが、骨折王のお笑い
芸人「NON STYLE」の石田明(白い方)よりも、布袋は虚弱体質ではないか。


◎ 小塚崇彦(フィギュアスケート選手)
    平成元年愛知県生まれ
父から手ほどきを受け5歳からフィギュアスケートを始める。平成16年全日本
選手権のショートプログラム(SP)でシニア勢を抑えて1位となり(最終順位
は4位)、注目を集める。17年ジュニアGPファイナルで、日本人男子として初
優勝。19~20年シーズン、GPシリーズのロシア杯で5位。12月全日本選手権で
高橋に次ぐ2位となり、20年3月の世界選手権出場権を初めて獲得。日本男子
史上初となる、親子2代での世界選手権代表となった

◎ 布袋寅泰(ロックギタリスト;ミュージシャン;音楽プロデューサー)
昭和37年群馬県生まれ
昭和55年氷室京介らと暴威を結成。57年BOOWYに改名し、アルバム「モラル」
でデビュー。62年アルバム「PSYCHOPATH」の150万枚をはじめミリオンヒット
を連発した。63年東京ドームコンサートを最後に解散、ソロ・アルバム「GUI-
TARHYTHM」を発表。8年アトランタ五輪の閉会式にギタリストとして出演。15
年タランティーノ監督の映画「キル・ビル」の主題曲に、「BATTLE WITHOUT
HONOR OF HUMANITY」が採用される。16年ギターインストアルバム「ELECTRIC
SAMURAI」を英国EMIからリリースして全英デビュー。
           (WHOPLUSより)

(袴田)

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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第63回)
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頭髪問題

小学校の音楽室で、疑問に感じたことはないだろうか。ワイルドヘアのベートー
ベンのとなりにいる、あのバッハの髪型はなんだ! なんで真っ白で、グリグ
リの巻き毛なのか? じつはあれ、想像のつくとおり「ヅラ」である。

当時は、正装やお洒落やシラミのために、ああいう髪型をしたらしいが、そも
そも男性カツラの流行の発端をつくったのは、ルイ13世(1601-1643)といわれ、
王が若ハゲを隠すために着用したのに合わせて、周囲もカツラをかぶるように
なった。

そして、あの白い髪の色の正体は、なんと小麦粉や澱粉で、獣脂などのポマー
ドをつけた毛に、その「髪粉」をたっぷりとふりかけて、白や灰色、青や紫と
いった色を出した。高貴な雰囲気にするためとか、カツラと地毛の差をなくす
ためとか、理由はいくつかあるようだが、加齢をごまかす目的もあったとか。
若づくりならぬ「老けづくり」だ。

これは、ナイスアイディアではないか。「若々しい」と「若づくり」の境界に
ついて過敏な年ごろのわたしは、老いを隠そうとして黒々と毛染めをすると、
かえってヨレた感じになるなぁと、急に髪を黒くした政治家なんかを見ながら
思っている。髪の短い男性は、年齢相応なら、白髪まじりもまた良しと思うの
だが……。

さいわい、わたしはまだ白髪染めはいらないが、よく見てみると、黒い髪のあ
いだから、キラリと光る憎いヤツがのぞいている。単純に染めてしまえばいい
のだけれど、じつはわたし、白髪染めに対して妙な恐怖心がある。いったん使
いはじめたら、死ぬまでその奴隷になるような気がして怖いのだ。まさにポイ
ント・オブ・ノー・リターン。勇気を持ってゴマシオになるか、一生、白髪染
めの世話になり、「若づくり」に縛られつづけるのか。ハムレット流に言えば
「To dye or not to dye; that is the question」だ。

余談だが、古代日本には「白髪皇子」と呼ばれた人がいたらしい。白髪武広国
押稚日本根子尊、すなわち、第22代清寧天皇のことだ。では、その呼び名の理
由は? わかりやすすぎるクエスチョンだが、答えはWHOPLUSで!

◎ 清寧天皇(第22代天皇)
生没年不詳。雄略天皇の第三皇子、母は葛城韓媛。雄略天皇の崩御後、星川
皇子の叛乱を平定して即位。磐余甕栗宮に都す。
(WHOPLUSより)

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