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【3】話題のカタマリ(第69回) ― 強面なのに虚弱体質
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バンクーバー五輪・女子フィギュアスケートの生中継は、ちょうど仕事中で観
られなかったが、終わってみれば男女とも入賞者にアジア勢が並んでいる図と
いうのは、札幌五輪でジャネット・リンが舞っていた時代からすると隔世の感
がある。
また今大会では、出場選手が演技に使う選曲の個性が目立ったと思う。クラシッ
ク曲以外では、キム・ヨナの「007のテーマ」、高橋大輔の「道―ジェルソ
ミーナ」、織田信成の「チャップリン・メドレー」といったスタンダードな映
画音楽からの選曲が多い中、小塚崇彦の選曲は、ショートプログラムでジミ・
ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」、フリーはマイケル・ケーメン作曲、布袋
寅泰演奏の「ギター・コンチェルト」と異色だった。
布袋自身のブログによると、小塚の出場場面はこの曲のレコーディング風景を
思い出しながらテレビで観ていたようだ。小塚が採点を待っている時に汗を拭っ
ていたタオルは、布袋がプレゼントしたツアーグッズだとか。
さて、本来ならば、全国ツアーを終えて一息ついているはずの布袋は、先月上
旬に愛犬と庭で遊んでいて段差につまずき、左手関節及び左肘関節の靱帯損傷
でツアーの残り2公演を中止していたのだった。
ツアー中止のニュースに関連して掲載されていた、布袋の怪我歴が興味深かっ
た。
1992年:山下久美子との夫婦喧嘩が原因?でベッドを叩いて右手骨折、
公演延期。
1996年:リハーサル中に右鎖骨を骨折、公演延期。
2002年:今井美樹の父の葬儀で宮崎に行ったときに、酔って転倒し頭蓋骨
骨折、全治2カ月。
2009年:愛犬の散歩で足を捻挫。
2009年1月の当コラムでは『骨折注意報』と題し、塚地武雅、テリー伊藤など、
当時の芸能界で頻発していた骨折の動向を紹介したのだが、骨折王のお笑い
芸人「NON STYLE」の石田明(白い方)よりも、布袋は虚弱体質ではないか。
◎ 小塚崇彦(フィギュアスケート選手)
平成元年愛知県生まれ
父から手ほどきを受け5歳からフィギュアスケートを始める。平成16年全日本
選手権のショートプログラム(SP)でシニア勢を抑えて1位となり(最終順位
は4位)、注目を集める。17年ジュニアGPファイナルで、日本人男子として初
優勝。19~20年シーズン、GPシリーズのロシア杯で5位。12月全日本選手権で
高橋に次ぐ2位となり、20年3月の世界選手権出場権を初めて獲得。日本男子
史上初となる、親子2代での世界選手権代表となった
◎ 布袋寅泰(ロックギタリスト;ミュージシャン;音楽プロデューサー)
昭和37年群馬県生まれ
昭和55年氷室京介らと暴威を結成。57年BOOWYに改名し、アルバム「モラル」
でデビュー。62年アルバム「PSYCHOPATH」の150万枚をはじめミリオンヒット
を連発した。63年東京ドームコンサートを最後に解散、ソロ・アルバム「GUI-
TARHYTHM」を発表。8年アトランタ五輪の閉会式にギタリストとして出演。15
年タランティーノ監督の映画「キル・ビル」の主題曲に、「BATTLE WITHOUT
HONOR OF HUMANITY」が採用される。16年ギターインストアルバム「ELECTRIC
SAMURAI」を英国EMIからリリースして全英デビュー。
(WHOPLUSより)
(袴田)
【3】話題のカタマリ(第69回) ― 強面なのに虚弱体質
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バンクーバー五輪・女子フィギュアスケートの生中継は、ちょうど仕事中で観
られなかったが、終わってみれば男女とも入賞者にアジア勢が並んでいる図と
いうのは、札幌五輪でジャネット・リンが舞っていた時代からすると隔世の感
がある。
また今大会では、出場選手が演技に使う選曲の個性が目立ったと思う。クラシッ
ク曲以外では、キム・ヨナの「007のテーマ」、高橋大輔の「道―ジェルソ
ミーナ」、織田信成の「チャップリン・メドレー」といったスタンダードな映
画音楽からの選曲が多い中、小塚崇彦の選曲は、ショートプログラムでジミ・
ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」、フリーはマイケル・ケーメン作曲、布袋
寅泰演奏の「ギター・コンチェルト」と異色だった。
布袋自身のブログによると、小塚の出場場面はこの曲のレコーディング風景を
思い出しながらテレビで観ていたようだ。小塚が採点を待っている時に汗を拭っ
ていたタオルは、布袋がプレゼントしたツアーグッズだとか。
さて、本来ならば、全国ツアーを終えて一息ついているはずの布袋は、先月上
旬に愛犬と庭で遊んでいて段差につまずき、左手関節及び左肘関節の靱帯損傷
でツアーの残り2公演を中止していたのだった。
ツアー中止のニュースに関連して掲載されていた、布袋の怪我歴が興味深かっ
た。
1992年:山下久美子との夫婦喧嘩が原因?でベッドを叩いて右手骨折、
公演延期。
1996年:リハーサル中に右鎖骨を骨折、公演延期。
2002年:今井美樹の父の葬儀で宮崎に行ったときに、酔って転倒し頭蓋骨
骨折、全治2カ月。
2009年:愛犬の散歩で足を捻挫。
2009年1月の当コラムでは『骨折注意報』と題し、塚地武雅、テリー伊藤など、
当時の芸能界で頻発していた骨折の動向を紹介したのだが、骨折王のお笑い
芸人「NON STYLE」の石田明(白い方)よりも、布袋は虚弱体質ではないか。
◎ 小塚崇彦(フィギュアスケート選手)
平成元年愛知県生まれ
父から手ほどきを受け5歳からフィギュアスケートを始める。平成16年全日本
選手権のショートプログラム(SP)でシニア勢を抑えて1位となり(最終順位
は4位)、注目を集める。17年ジュニアGPファイナルで、日本人男子として初
優勝。19~20年シーズン、GPシリーズのロシア杯で5位。12月全日本選手権で
高橋に次ぐ2位となり、20年3月の世界選手権出場権を初めて獲得。日本男子
史上初となる、親子2代での世界選手権代表となった
◎ 布袋寅泰(ロックギタリスト;ミュージシャン;音楽プロデューサー)
昭和37年群馬県生まれ
昭和55年氷室京介らと暴威を結成。57年BOOWYに改名し、アルバム「モラル」
でデビュー。62年アルバム「PSYCHOPATH」の150万枚をはじめミリオンヒット
を連発した。63年東京ドームコンサートを最後に解散、ソロ・アルバム「GUI-
TARHYTHM」を発表。8年アトランタ五輪の閉会式にギタリストとして出演。15
年タランティーノ監督の映画「キル・ビル」の主題曲に、「BATTLE WITHOUT
HONOR OF HUMANITY」が採用される。16年ギターインストアルバム「ELECTRIC
SAMURAI」を英国EMIからリリースして全英デビュー。
(WHOPLUSより)
(袴田)
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