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【3】話題のカタマリ(第44回)         ― 昭和を踊りぬいた振付師
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昭和を代表する作詞家・阿久悠の訃報に驚き、いくつもの追悼特番を観るたび
に“阿久悠作品”で育ったことに気づかされたのは、つい先月のことだった。
そして今月、ピンクレディーの人気を支えたもう一人の立役者だった振付師の
土居甫も、後を追うように去ってしまった。

いつだったか朝日放送の「探偵!ナイトスクープ」で、「(放映当時)30歳以
上の女性は、誰でもピンクレディーの振り付けをできるか確かめてほしい」と
いう依頼があり、実際のロケ(大阪市内)では、「もう覚えてないわぁ」と言
いながらも、ピンクレディーの音楽がかかると、ラジオ体操のように勝手に体
が動き出してしまう様子は爆笑モノだった。
思えば、これほど振付を浸透させ、振付師という職業を世間に認知させたのは、
彼が初めてではなかったか?

おヒョイさんこと藤村俊二など、ダンスや振付の仕事を起点にタレントや俳優
になった人は何人もいるが、土居氏はあくまでも振付師の枠をはみ出さずに徹
した存在だったと思う。(タモリの「今夜は最高!」でコントに出ていたこと
はあったけれど...)

ラッキィ池田やパパイヤ鈴木あたりから、振付師も見た目のインパクトが重要
になり、最近のKABA.ちゃんや真島茂樹では"お姉キャラ"が人気を呼ぶ要素に
なってきたのだろう。

果たして今から20年後に「マツケンサンバII」を踊れる30代が残っているだろ
うか?


◎ 土居甫(振付師)
昭和11年愛媛県生まれ 平成19年9月没
昭和32年東宝演劇部所属となり、ミュージカル・芝居・ダンスで活躍。34年振付
けの仕事を始め、46年から「スター誕生」で"花の中3トリオ"やピンクレディー
らの振付を手がけた。

◎ 藤村俊二(俳優)
昭和9年神奈川県生まれ
東宝ミュージカルや日劇ダンシングチームを経て、パリでパントマイムを学び、
振付師に転向。さらにコメディアン、司会者として人気者に。その後は俳優と
して、テレビ、映画、舞台で幅広く活躍。ニックネームは"おヒョイ"。

◎ ラッキィ池田(振付師;タレント)
  昭和34年東京都生まれ
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」を見たのが"ダンス人生"のきっかけ。昭
和59年伊武雅刀、小林克也らのスネークマンショーオーディション合格、ビデオ
に振付師として参加、その後はステージ、映画、ビデオ、テレビなどに出演。他
にCM振付も手がけ、アーノルド・シュワルツェネッガーの「カップヌードル」な
どを担当。

◎ パパイヤ鈴木(ダンサー;振付師;タレント)
昭和41年生まれ
16歳でダンサーとなり、20歳から振付師兼ダンスインストラクターとして活躍。
平成10年おやじダンサーズを結成、リーダーとなる。ウルフルズのプロモーショ
ンビデオ「それが答えだ!」で振り付けを担当し、出演。12年バラエティー番組
「Gパラダイス debuya」(のち「元祖!でぶや」)でホンジャマカの石塚英彦と司
会を務める。

◎ KABA.ちゃん(タレント;振付師;ダンサー)
昭和44年福岡県生まれ
テレビ東京「ASAYAN」のオーディションコーナー"コムロギャルソン"で合格した
taeco、 asamiと共に3人でdosを結成。グループ解散後は、振付師としてSMAPや
安室奈美恵などの人気アーティストを手掛ける。"お姉キャラ"のタレントとして
も活躍。

◎ 真島茂樹(振付師;タレント)
栃木県生まれ
元日劇ダンシングチームに所属。平成16年俳優の松平健が歌って大ヒットした
「マツケンサンバII」の振り付けを担当、自身も一躍注目を集める。愛称はマ
ジー。

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第43回)              ― 佐賀ブーム再び
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佐賀といえば、お笑い芸人・はなわのパロディご当地ソング「佐賀県」のヒッ
ト以降は、島田洋七の自伝的小説「佐賀のがばいばあちゃん」が、徳間書店か
ら再刊されたのをきっかけに、昨年から今年にかけて作品の映画化・ドラマ化・
舞台化が続き、何かと話題となっていた。

そしてこの夏、新たな「佐賀伝説」が生まれた。
県立の佐賀北高校が、帝京、広陵などの強豪を破り、夏の甲子園大会を制した
のだ。

実は、その決勝の模様はリアルタイムやニュース速報ではなく、夕方のニュー
ス番組で流れていた映像をチラッと観て、7回までの「佐賀北 0 - 4 広陵」と
いう場面しか確認できなかったため、しばらくの間は広陵が優勝したのだと思
い込んでいた。
しかし、帰宅してから改めてスポーツニュースを観てビックリ!8回からの大
逆転で、「佐賀北 5 - 4 広陵」という快挙だったのだ。
高校野球の特待生問題で大騒ぎしていた年に、そんなこととは無縁な全員地元
出身の公立高校が優勝したのだから、何とも皮肉な結果ともいえる。

さて同郷のよしみで、はなわから甲子園出場のニュースを聞いて今大会に注目
していたという同校OGの女優・中越典子は決勝戦の日に、いてもたってもいら
れず、急遽甲子園まで応援に駆けつけたという。
同校の「勝利の女神」というポジションを獲得した彼女は、当分の間、トーク
番組出演時のネタには困らないだろう。


◎ はなわ(タレント)
昭和51年生まれ
コメディアンを目指し、平成8年上京。専門学校で出会った原口あきまさと共に
芸能界入り。自ら弾くベースの低いリズムに合わせ、地元・佐賀県の田舎ぶり
をネタにした"ベース漫談"で人気を得る。

◎ 島田洋七(漫才師)
昭和25年生まれ
昭和50年島田洋八と漫才コンビB&Bを組み関西を中心に活動した後、54年吉本
興業を離れて東京に進出。昼の生番組「笑ってる場合ですよ!」の司会に抜擢
される。漫才ブームが去った58年コンビを解散。平成9年自伝的小説「佐賀のが
ばいばあちゃん」を自費出版。16年「佐賀のがばいばあちゃん」が、(がばいシ
リーズ3部作)として発売され、180万部を越えるベストセラーに。

◎ 中越典子(女優)
昭和54年生まれ
平成11年雑誌「ViVi」でモデルとしてデビュー。情報番組「王様のブランチ」
(TBS)のリポーターとして人気を集める。15年NHK朝の連続テレビ小説「こころ」
でヒロインを務める。

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第42回)       ―映画人の好きな映画と俳優は?
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前号に引き続き、弊社刊『日本の映画人』(2007年6月刊)の関連ネタです。

本書の編集にあたり、掲載をお願いした経歴記入用のアンケートでは、映画に
関する回答欄を加えました。今回はその集計結果をちょっとだけお伝えします。

☆「生涯の1本」は何ですか?

1.「七人の侍」
2.「道」
3.「第三の男」「泥の河」「浮雲」「アラビアのロレンス」

「七人の侍」がダントツの1位。2位以下は、1人1作品といっても良いほど票が
割れたそうです。

☆「印象に残る男優・女優」は誰ですか?

1. 三船敏郎
2. 森雅之、高峰秀子、原節子
3. 田中絹代
    4. 高倉健
    5. 石原裕次郎

こちらも三船敏郎がダントツの1位で、好きな作品に洋画が挙がっていたわりに
は、外国の俳優は上位に来ませんでした。外国人だけをピックアップしてみると
このような結果が出ました。

1. イングリッド・バーグマン
    2. ジャン・ギャバン
    3. オードリー・ヘップバーン
    4. オーソン・ウェルズ
    5. ヘンリー・フォンダ

1位のイングリッド・バーグマンでさえも、得票数では三船敏郎の3分の1以下で
した。『“日本の”映画人』に掲載されるから日本人を選んでおくという回答
者側の判断が影響したのかもしれません。

また回答者の年齢構成を見ると、50代~80代からの回答数が圧倒的に多く、20
代~30代からの回答はほとんどなかったとのことで、どうやら回答者の年代が
色濃く出たランキングになったようです。

ちなみに、回答者の最高齢は1910年生まれの映画評論家・双葉十三郎さんで、
最年少は先日のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した1969年生まれの映画
監督・河瀬直美さんでした。


◆日本の映画人―日本映画の創造者たち
佐藤忠男編 定価12,600円(税込) A5判・720p 
ISBN:978-4-8169-2035-6
製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、音楽、録音、編集、アニメ、
興行、評論など、俳優を除く各分野で活躍した映画人1,472人を収録。

http://www.nichigai.co.jp/sales/eigajin.html

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第41回)      ―「WHOPLUS」検索ランキングTOP10
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「WHOPLUS」では、毎月よく検索される人物の統計を取ってデータの更新に反映
させています。2007年5月の検索結果を見ると、なんと上位ベスト10のうち、7人
が故人でした(*印)。

1位 松岡 利勝    <衆院議員> *
2位 平岩 外四    <東京電力顧問;日本経団連名誉会長> *
3位 河瀬 直美    <映画監督>
4位 坂井 泉水    <歌手> *
5位 藤原 伊織    <小説家> *
6位 横山ノック   <タレント> *
6位 熊井 啓     <映画監督;脚本家> *
8位 ジャガー横田  <女子プロレスラー>
8位 花柳 寿輔(3代目)<日本舞踊家> *
8位 藤原 紀香    <女優>

物故者の場合、訃報の第一報が入った日が圧倒的に多く、その翌日の新聞掲載
日にも検索されています。ネット上には大量の人物データが存在しますが、そ
れのみを典拠にして記事を書くことは間違いを起こしやすく、不安です。近親
者に取材する時間的余裕もなく、「WHOPLUS」の利用が瞬間的に増大するもの
と思われます。

花柳寿輔さんは、一般の方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、日本最
大の舞踊流派・花柳流の家元で、日本芸術院会員でもあります。
こういった人物でもきちんと検索数が増えるあたり、所謂、Google や Yahoo!
  などの検索ランキングとは異なり、コアな「WHOPLUS」ユーザーの“レベルの
  高い”ニーズを感じさせます。

こうやってみると、先月は、実にたくさんの著名人が亡くなった月でした。
その中に混じって上位に食い込んだ活躍中の人物と言えば、「殯(もがり)の
森」という作品で第60回カンヌ国際映画祭のグランプリを受賞した映画監督の
河瀬直美さん。殯(もがり)とは、奇しくも、古の葬儀儀礼で、死者を本葬す
るまでの期間、棺に遺体を仮に納めて安置し、別れを惜しむこと。妻に先立た
れた認知症の男と、わが子を失ったヘルパーの女性が、森をさまよううちに、
次第に心を通わせ、肉親の「死」を乗り越えていく作品だそうです。

藤原紀香さんの披露宴は5月30日。結婚式からずいぶん時間が経ってニュース
性は薄いと思われますが、披露宴だけでこれだけ検索数が伸びるのはサスガ。
ちなみに、夫・陣内智則さんの検索数は紀香夫人の約半分。“縁結びの神”と
なった島田紳助さんは、2人の結婚を「素晴らしい吸収合併」と表しましたが、
この検索履歴からみれば、案外、言い得て妙かも。

なお、河瀬直美さんと熊井啓さんの両監督については、「WHOPLUS」の本人ア
ンケート調査でご回答いただいたばかりでなく、弊社の6月新刊 『日本の映画
人―日本映画の創造者たち』でも「映画に関わった動機」「印象に残る男優・
女優」「生涯の一本」「作ってみたい映画」など興味深いアンケートの回答を
いただいています。こちらも是非、ご覧ください。

◆日本の映画人―日本映画の創造者たち
佐藤忠男編 定価12,600円(税込) A5判・720p 978-4-8169-2035-6
製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、音楽、録音、編集、アニメ、
興行、評論など、俳優を除く各分野で活躍した映画人1,472人を収録。

(データベース編集部・森岡)

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【3】話題のカタマリ(第40回)   ― 珠緒ちゃんが戻り、珠代ちゃんが去る
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テレビ朝日は今、2人の珠ちゃんで大騒ぎだ。

1人目の珠ちゃんは、3月末で朝日放送(ABC)を辞めてフリーアナウンサーとなっ
た赤江珠緒。テレビ朝日系「スーパーモーニング」のメインキャスターとして
1年ぶりに朝の顔として復帰したかと思えば、さっそく自身の熱愛発覚ニュース
を伝えるというハメになったようだ。
古巣のABCには、所属アナウンサーによる内輪ネタ&暴露話サイト
「アナパラ Oh! ラフィーキ」
http://abc1008.com/anapara/
というウェブラジオがあるが、そこでもOGの珠緒ちゃんはネタにされてしまう
のだろうか?

そしてもう1人の珠ちゃんは、最近テレビ朝日を辞めて参院選への出馬を正式
表明したばかりの丸川珠代だ。“キングカズ”こと横浜FCの三浦知良と共に
出馬要請の噂が立ったのでガセネタかと思いきや、本気モードのようだ。
思い返せば、4年前にニューヨーク支局へ出向し、慶大教授・金子勝との共著
で『ダマされるな!-目からウロコの政治経済学』(ダイヤモンド社)を出
したあたりから、珠代ちゃんは現在を見すえていたのかもしれない。

いずれにせよ今後は、珠代ちゃんの動向を珠緒ちゃんが報道することになる
のだろう。

◎ 赤江 珠緒 昭和50年兵庫県生まれ
アナウンサー
    平成9年朝日放送にアナウンサーとして入社。15年6月~18年3月系列の
テレビ朝日「スーパーモーニング」キャスターを務める。19年3月朝日
放送を退社してフリーとなり、「スーパーモーニング」に復帰

◎ 丸川 珠代 昭和46年兵庫県出身
元・アナウンサー
    平成5年テレビ朝日に入社。7年「たけしのTVタックル」での何事にも
動じないクールなキャラクターが評判となる。「CNNヘッドライン」や
「スーパーJチャンネル」などのキャスターを経て、15年同局初の女性
アナウンサー特派員としてニューヨーク支局に勤務。19年5月テレビ朝
日を退社
(データベース「WHOPLUS」より)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第39回)             ― 栄光の背番号42
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 スポーツニュースで大リーグの話題を観ていたら、ドジャースの斎藤隆をはじ
 めとした同チームの選手全員が、そしてカージナルスの田口壮もまた、同じ背
 番号42のユニフォームを着て試合をしていた。日本人にしてみれば、あまり縁
 起のよくない数字だが、大リーグでは誰もがあこがれる数字だった。
 
 この日(4月15日)は、「ジャッキー・ロビンソン・デー」。大リーグ初の黒人
 選手で、のちの公民権運動にも大きな影響を与えたジャッキー・ロビンソンが
 デビューした日だったのだ。10年前の1997年にはデビュー50周年記念式典が開
 催され、彼の背番号42は大リーグの全球団で永久欠番と決めたのだが、60周年
 を迎えた今年はその永久欠番を解いて、この日は誰でも希望すれば42の背番号
 を付けてよいことになったのだ。

 このような、球団やリーグの枠を越えて楽しむセレモニーの演出が、大リーグ
 は格段に上手いと思う。
 裏金問題が...特待生制度が...と紛糾している日本の球界が、そこまで成熟す
 るのにはまだまだ時間がかかりそうだ。


  ◎ 斎藤 隆 昭和45年2月宮城生まれ
    大リーグ選手(ドジャース・投手)
  東北高、東北福祉大を経て、平成4年ドラフト1位で大洋(現・横浜)に入
    団。8年206奪三振で、最多奪三振のタイトルを獲得。9年開幕前に手術
    を受け、一軍登録がなかったが、10年13勝を挙げ復活、日本一に貢献し
    てカムバック賞を受賞。17年シーズン終了後、メジャー挑戦のため退団
    し、18年ドジャースとマイナー契約を結ぶ。4月メジャーに昇格

  ◎ 田口 壮 昭和44年7月福岡生まれ
    大リーグ選手(カージナルス・外野手)
関西学生リーグで活躍後、平成4年ドラフト1位でオリックスに入団。内
    野手から外野手に転向。12年プロ選手から初めてシドニー五輪代表に選
    ばれた。同年10月対西武戦で通算1000本安打達成。13年シーズン終了後
    FA宣言し、14年1月米大リーグのセントルイス・カージナルスに移籍。

  ◎ ロビンソン,ジャッキー(Robinson,Jackie) 
    1919年1月ジョージア州生まれ 1972年10月没
        大リーグ選手
1946年プロ野球ブルックリン・ドジャースのファームチーム入り。'47年
    4月メジャーに昇格し、アメリカ大リーグ初の黒人選手となる。白人の偏
    見と迫害に抗しながら一、二、三塁手として活躍し、新人王に。'49年打
    率.342で首位打者、守備も完璧でナリーグ最高殊勲選手(MVP)になる。
    '62年黒人では初めて野球殿堂入り。野球だけでなくバスケットボール、
    フットボールなどのプロスポーツ界における黒人選手の先駆けとして、
    希望を与えた。
                  (データベース「WHOPLUS」より)

                                 (袴田)

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【3】話題のカタマリ(第38回)        ― さようなら『ほのぼの君』
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 全国紙では朝日新聞だけが報じていたようなのだが、東京新聞・中日新聞など
 のブロック紙・地方紙に長期連載されてきた佃公彦の4コマ漫画『ほのぼの君』
 が、3月8日付けの紙面で連載終了となった。一番長く連載していた東京新聞の
 場合で、通算44年間で15,451回だったという。

 『ほのぼの君』の掲載紙は配達地域が限られているために、同作品を一度も見
 たことがないという人は多いと思う。
 しかし、その画風は「クイズダービー」が始まるまでTBS系で放映していた「お
 笑い頭の体操」の番組セットなどに描かれていたイラストなどでお馴染みのも
 のだ。
 余談だが入社当時、弊社では新聞の索引データベースを製作しパソコン通信で
 提供していたのだが、元データを採録する新聞本紙に載っている『ほのぼの君』
 を読むのが好きだった。

 さて、この連載回数は、昨年亡くなられた加藤芳郎の『まっぴら君』(毎日新
 聞)の13,615回という全国紙連載記録をはるかに凌いでいる。全国紙の4コマ
 漫画で現役の連載最長不倒記録は、東海林さだおの『アサッテ君』(毎日新聞)
 らしいのだが、彼が今のペースでそれを描き続けても、『ほのぼの君』を抜く
 にはあと12年かかるそうだ。
 ずいぶん長く連載していると思っている、植田まさしの『コボちゃん』(読売
 新聞)に至っては、3年前にやっと8000回を越えた程度なのだ。
 この記録は当分破られそうにない。
 
  ◎ 佃 公彦 昭和5年東京生まれ
        漫画家
   昭和45年から東京新聞などに「ちびっこ紳士」を連載、59年「ほのぼの
    君」に改題して、平成10年には1万回を迎える長期連載となった

  ◎ 加藤 芳郎 大正14年6月東京生まれ 平成18年1月没
        漫画家
   昭和21年復刊した近藤日出造主宰の「漫画」の寄稿家となり、近藤に弟
    子入り。22年独立。26年サン写真新聞連載の「キャラメル一家」が出世
    作となり、29年「サンデー毎日」に「オンボロ人生」を連載。同年毎日
    新聞に「まっぴら君」の連載を開始。テレビやラジオで活躍する漫画家
    の先駆けとしても活躍した

  ◎ 東海林 さだお 昭和12年東京生まれ
        漫画家;エッセイスト
   早稲田大学在学中、漫画研究会を創設。昭和42年1月「漫画タイムズ」
    に連載した「新漫画文学全集」で注目され、その後「ショージ君」「タ
    ンマ君」「リーチ君」などを発表。毎日新聞朝刊の「アサッテ君」は連
    載1万回を超える

  ◎ 植田 まさし 昭和22年東京生まれ
        漫画家
   東海林さだおなどストーリー漫画の後追いをやめて、4コマものを狙う。
    「フリテンくん」で人気上昇。昭和57年4月より読売新聞に「コボちゃ
    ん」を連載、平成16年連載8000回を迎えた

                  (データベース「WHOPLUS」より)

                                 (袴田)

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【3】話題のカタマリ(第37回)      ― 「東京タワー」はいつまで続く
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 何は無くとも「東京タワー」らしい。

 リリー・フランキー原作の「東京タワー―オカンとボクと、時々オトン」が、
 速水もこみち主演でフジテレビの通称"月9枠"で放映されている最中である。

 春にはオダギリジョー主演の映画も公開される予定なのだが、そのうえ今夏に
 は舞台化もされることになり、主役の"ボク"には萩原聖人が抜擢されたという。

  ◎ リリー・フランキー 昭和38年福岡県生まれ
        イラストレーター 作家
イラストレーターの傍ら、アイドル評論家、事情通として活躍し、DJ集
    団IBM(IDOL BEATS MASSIVE)を主宰。他に絵本作家、写真家の顔も持ち、
    ラジオ番組の構成や装丁も手がける。初の長編小説「東京タワー―オカ
    ンとボクと、時々オトン」が130万部のベストセラーとなり、18年本屋
    大賞を受賞。

  ◎ 大泉 洋 昭和48年北海道生まれ
    俳優
    大学在学中、演劇サークルの仲間5人と劇団Team Nacs(チームナックス)
    を結成。同年スカウトされ、北海道・HTBの深夜バラエティー番組「水曜
    どうでしょう」でタレントデビュー。17年ドラマ「救命病棟24時」に出
    演して全国区に。18年ドラマ「東京タワー~オカンとボクと、時々、オ
    トン」に主演。

  ◎ 速水 もこみち 昭和59年東京都生まれ
    俳優
    平成14年ドラマ「逮捕しちゃうぞ」で俳優デビュー。「ヤンキー母校に
    帰る」「ごくせん」などで人気を獲得。19年"月9"枠ドラマ「東京タワー
    ~オカンとボクと、時々オトン~」に主演。

  ◎ オダギリ ジョー 昭和51年岡山県生まれ
    俳優
    高校卒業後、映画監督を志し米国に渡る。コース選択を誤り演劇を2年間
    学び、俳優に転向。12年テレビ「仮面ライダークウガ」の主役に抜擢され
    る。17年映画「血と骨」で日本アカデミー賞助演男優賞などを受賞。

  ◎ 萩原 聖人 昭和46年生まれ
    俳優
昭和62年デビュー。平成2年劇団アーリータイムリーズを結成。出演作品
    にテレビ「砂の上の恋人たち」「弟」、映画「学校」「GO」、舞台「花園
    ラビリンス」「さぶ」など。韓国ドラマ「冬のソナタ」ではペ・ヨンジュ
    ン演ずる主人公の声の吹き替えを担当した。

                  (データベース「WHOPLUS」より)

 小説の映像化といえば、川端康成の「伊豆の踊り子」や三島由紀夫の「潮騒」な
 どの文芸作品を、数年おきに当代の若手俳優やアイドル歌手が主演したものを思
 い出すのだが、「東京タワー」の場合、原作本が「本屋大賞」を受賞してからわ
 ずか1年弱で、昨秋の大泉洋主演のドラマ特番以降、たて続けに映像化されてい
 るのが特異な現象だといえよう。あとはアニメ化とゲーム化とハリウッドのリメ
 イク版が出れば完璧であろう(な訳はないと思うが)。

 そして「東京タワー」ブームが去った頃、隅田川沿いに「新タワー」が完成して
 リリー・フランキーは「新・東京タワー」を書くに違いない。
 

 ドラマ特番「東京タワー―オカンとボクと、時々オトン」
  http://wwwz.fujitv.co.jp/tokyotower/index.html

 月9ドラマ「東京タワー―オカンとボクと、時々オトン」
  http://www.fujitv.co.jp/tokyo-tower/index2.html

 映画「東京タワー―オカンとボクと、時々オトン」
  http://www.tokyotower-movie.jp/

                                 (袴田)

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【3】話題のカタマリ(第36回)         ― コンちゃんと和夫ちゃん
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 5日間ほど大阪へ出張してきた。
 昼食時に入った店は特に選んだわけではないのだが、AMラジオを流している所
 が多く、その時に聴いた番組は、MBSラジオの「こんちわコンちゃんお昼です
 よ!」か、ABCラジオの「全力投球!!妹尾和夫です」のどちらかであった。

 コンちゃんこと近藤光史は「吼えるコンちゃん」というコーナーで、その日に
 話題となったニュースをもとに、行政や企業、マスコミなどの批判を文字通り
 吼えまくっているのだが、たまたま聴いていた阪神・淡路大震災からちょうど
 12年目の日の放送では、被災体験を防災対策に十分活かしていない関西の行政
 の消極性を挙げていて、なるほどと感心したものだ。
 しかし、コンちゃんは時おり暴走し過ぎて聴取者からお叱りを受けるらしい。
 帰京してから知ったのだが、その週も「2ちゃんねる」批判を繰り広げた結果、
 番組ホームページのBBS(掲示板)を一時閉鎖せざるを得なくなったという。

 一方、和夫ちゃんこと妹尾和夫は、自身が劇団の座長をしていることもあって
 か、番組全体に遊び心が溢れているように思う。特に番組終了前のコーナー
 「おわりの会」で、リスナーから指摘された放送中の言い間違いや勘違いを聴
 き直しては、反省もしくは言いわけをするのが楽しい。
 ちょうど昨年末に、番組ガイド本の『人生晴れたり曇ったり―全力投球!!妹尾
 和夫ですの本 通称カズぼん。』(長っ!)が出たばかりということで、大阪
 みやげに買ってしまったほどだ。

 地方のラジオ番組をインターネットで聴ける機会は増えてはいるが、やはりラ
 ジオは、その土地で、そこの空気を吸いながら聴くと良いものである。
 たまさか震災祈念の日を挟んで関西に滞在したこともあって、なおさらそう感
 じたのであろう。

  ◎ 近藤 光史 昭和22年7月岡山県生まれ
        パーソナリティー
        昭和46年毎日放送にアナウンサーとして入社。「ヤングOh!Oh!」「ヤ
        ングタウン」「あどりぶランド」などを担当。"コンちゃん"の愛称で人
        気を得る。平成4年毎日放送を退職し、タヒチへ移住。12年毎日放送から
        再登板の要請があり帰国。主な出演にラジオ「こんちわコンちゃんお昼
        ですよ!」など。

  ◎ 妹尾 和夫 昭和26年11月大阪府生まれ
        ラジオパーソナリティー
        「ブレーブスアワー」(MBSラジオ)、「歌謡曲朝一番」(ラジオ大阪)、
        などに出演。平成17年「全力投球!!妹尾和夫です」(ABC)のスタッフ
        が集まり全力投球ワンダーフォーを結成、作詞・作曲し歌った「おかあ
        さんのカレー」が話題となる。
                 (データベース「WHOPLUS」より)


  MBSラジオ「こんちわコンちゃんお昼ですよ!」番組ホームページ
   http://www.mbs1179.com/kon/

  ABCラジオ「全力投球!!妹尾和夫です」番組ホームページ
   http://www.abc1008.com/zenryoku/
                                 (袴田)

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【3】話題のカタマリ(第35回)          ― 海を渡ったトルネード
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 今年のプロ野球オフシーズンは、松坂、桑田、井川、岩村など、スター選手の
 メジャー行き関連の話題が圧倒的に多くなった。
 思えば今から約12年前に、1人の男が道を切り開いてくれたからこそ、メジャー
 での日本人選手の活躍を、日本にいながらにしてテレビ観戦できる現在がある
 のだと思う。その男の名は野茂英雄。メジャー進出のパイオニアであり、昨年
 6月にはデビルレイズでついに日米通算200勝という偉業も達成した。

  ◎ 野茂 英雄 昭和43年8月大阪府生まれ
大リーグ選手(投手)
  平成元年ドラフト史上最高の8球団が1位指名し、近鉄が史上最高の1億2千万
  で契約。平成2年オープン戦でデビュー、1試合17奪三振、4試合53奪三振、5
  戦連続2ケタ奪三振など次々と大物ぶりを披露し、"ドクターK"の異名をとる。
  7年1月近鉄を退団、2月大リーグ・ドジャースと契約。個性的なトルネード
    投法にフォークボールと直球で真っ向勝負するスタイルは大リーグファンを
    魅了した。
                 (データベース「WHOPLUS」より)

 ところが、200勝達成直後の7月には成績不振のためデビルレイズを解雇され、
 ヤンキースとマイナー契約、そして今年の3月にホワイトソックスとマイナー
 契約し3Aに所属したが6月には解雇、と奮わない日々が続いている。本人の公
 式ホームページによると、現在はヒジの故障の治療に専念しているという。

 さて、渡米してトルネードを極めたのは野茂選手だけではなかった。野茂選手
 の渡米より42年も前に先達がいたのだ。

 今年の9月に宮崎県延岡市、11月に北海道佐呂間町で竜巻被害があったことは
 記憶に新しい。そのニュースが伝えられる中でたびたび聞かれた言葉に「藤田
 スケール(Fスケール)」というのがあった。竜巻の規模を表す世界共通の単
 位で、その考案者の名前からつけられた名称だったのだ。

  ◎ 藤田 哲也 大正9年10月福岡県小倉生まれ 平成10年11月没
シカゴ大学名誉教授
  昭和28年渡米。シカゴ大学で研究を続け、40年シカゴ大学教授。中規模気象
  学の研究を進め、米国に発生するトルネード(=竜巻)の実態を明らかにし、
  46年竜巻の規模を表す6段階の藤田スケールを考案。 さらに気象衛星を利用
  した地球規模の天気図解析にも貢献、"ミスター・トルネード"の異名をとる。
                 (データベース「WHOPLUS」より)

 藤田教授の故郷・北九州市小倉では、教授の偉業を後世に伝えるべく、藤田記
 念館の設立を市へはたらきかけているという。

  「たつまき博士の研究室」http://www.fujita-scale.com/

 新たに渡米するスター選手たちの中から、第三のトルネード級の活躍をするの
 は果たして誰だろうか?

                                 (袴田)

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