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【2】話題のカタマリ(第71回)   ― ゴールデンタイムに駆り出されたのは
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4月の番組改編で、爆笑問題のテレビ朝日系『クイズ雑学王』が古巣の深夜バラ
エティ枠に戻ってきたので、毎週観られるようになった。爆笑問題・太田が、
回答席の伊集院光や東貴博をイジる間合いなどは、やはり深夜帯にふさわしい
と思う。

一方テレビ東京系が、『田舎に泊まろう!』終了後の日曜ゴールデンタイム枠に
木曜深夜枠の『モヤモヤさまぁ~ず2』を駆り出してきたのには、正直度肝を抜
かれた。『田舎に...』のように“今夜の寝床は決まるのか”といったスリリン
グ性もなく、NHKの『ブラタモリ』のように歴史や地誌的な知識が得られるわけ
でもなく、さまぁ~ずと大江麻理子アナの3人が、ただ街を歩き回って放映時間
分の映像を撮るだけ(番組内の用語で“撮れ高を稼ぐ”と呼んでいる)のバラ
エティだからだ。

これまでのゴールデンタイム放映回を観たところでは、モグラが明るいところ
に引っ張り出されてきたような感じがしてならないのだが、深夜放映の頃には
番組途中で寝てしまうこともあったので、私的には大河ドラマを観る前の箸休
めとして気にいっている。

昨年の夏ごろ『モヤさま』ご一行が、弊社近辺の街歩きをした模様が放映され
たのだが、番組終盤にお約束で入る喫茶店に選ばれたのが、何と弊社から歩い
て10歩のところにある店だった。その撮影場面にちょうど帰宅時に出くわして、
本当に夕刻まで1日歩いて“撮れ高”を稼いでいるんだなと感心したものだ。

◎ さまぁ~ず(旧コンビ名=バカルディー)
大竹一樹・三村マサカズともに昭和42年東京生まれ
昭和63年“バカルディー”を結成。平成12年ウッチャンナンチャンの冠番組
「新ウンナンの気分は上々。」でコンビ名を賭けた対決に敗れ、“さまぁ~
ず”に改名すると、大竹のボケに、三村の「~かよ!」のツッコミで人気と
なる。ネタ本「さまぁ~ずの悲しいダジャレ」「さまぁ~ずの悲しい俳句」
もベストセラーに。主なレギュラー番組は「笑っていいとも!」「Qさま!!」
など。
                            (WHOPLUSより)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第70回)      ― 「全日空寄席」のCD発売に思う
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飛行機で旅に出る時は、機内番組で落語チャンネルを聴くことが多い。しかし、
流れる演目は案内放送の割り込みでたびたび中断されるので、まるまる一つの
ネタをゆっくり聴けないのが残念だ。
ところが、ついにコロムビアから『笑う全日空寄席』が2タイトル発売された。
その収録内容は、

『笑う全日空寄席(1)』
「堪忍袋」三遊亭遊雀
「漫才」昭和のいる・こいる
「新・八五郎出世」立川志の輔

『笑う全日空寄席(2)』
「寿の春」三遊亭歌之介
「火焔太鼓」橘家圓蔵
「禁酒番屋」五代目 柳家小さん

と、それぞれ豪華な顔ぶれである。

『全日空寄席』記念すべき第1巻の最初の演者が、三遊亭遊雀であるのは象徴的
である。なぜなら、彼は知る人ぞ知る飛行機マニアだからだ。
彼の前名・柳家三太楼の時代に、同好の士である柳家三之助とともに航空関係者
を取材した著書『オールフライトニッポン』(風濤社)が刊行され、それが縁で、
成田空港近くにある航空科学博物館で毎年1回、航空寄席を開催しているほどで
ある。

しかし『オールフライト...』刊行後、三太楼は師匠の権太楼から破門にされて
しまった。約1年のブランクが続いた後、現在の師匠である三遊亭小遊三の門下
に移り、現在の遊雀になったという経緯がある。

CD発売にあたって、演者選定の裏事情は知らないが、これは全日空からのご返礼
という形なのかもしれない。

◎ 三遊亭遊雀(落語家)
昭和40年千葉県出身
学生時代に落語研究会に入り、老人ホームの慰問活動などを行う。大学を中退
し、昭和63年柳家権太楼に入門、前座名さん太。平成3年二ツ目に昇進し、三
太楼。13年真打ちに昇進。18年三遊亭小遊三一門に移り、三遊亭遊雀を名のる。

◎ 柳家三之助(落語家)
昭和48年千葉県出身
平成7年10代目柳家小三治に入門、前座名ごん白。11年二ツ目に昇進、三之助
と改名。落語協会のホームページを手がけるなどITに詳しい。

                            (WHOPLUSより)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第69回)           ― 強面なのに虚弱体質
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バンクーバー五輪・女子フィギュアスケートの生中継は、ちょうど仕事中で観
られなかったが、終わってみれば男女とも入賞者にアジア勢が並んでいる図と
いうのは、札幌五輪でジャネット・リンが舞っていた時代からすると隔世の感
がある。

また今大会では、出場選手が演技に使う選曲の個性が目立ったと思う。クラシッ
ク曲以外では、キム・ヨナの「007のテーマ」、高橋大輔の「道―ジェルソ
ミーナ」、織田信成の「チャップリン・メドレー」といったスタンダードな映
画音楽からの選曲が多い中、小塚崇彦の選曲は、ショートプログラムでジミ・
ヘンドリックスの「BOLD AS LOVE」、フリーはマイケル・ケーメン作曲、布袋
寅泰演奏の「ギター・コンチェルト」と異色だった。

布袋自身のブログによると、小塚の出場場面はこの曲のレコーディング風景を
思い出しながらテレビで観ていたようだ。小塚が採点を待っている時に汗を拭っ
ていたタオルは、布袋がプレゼントしたツアーグッズだとか。
さて、本来ならば、全国ツアーを終えて一息ついているはずの布袋は、先月上
旬に愛犬と庭で遊んでいて段差につまずき、左手関節及び左肘関節の靱帯損傷
でツアーの残り2公演を中止していたのだった。
ツアー中止のニュースに関連して掲載されていた、布袋の怪我歴が興味深かっ
た。

1992年:山下久美子との夫婦喧嘩が原因?でベッドを叩いて右手骨折、
公演延期。

1996年:リハーサル中に右鎖骨を骨折、公演延期。

2002年:今井美樹の父の葬儀で宮崎に行ったときに、酔って転倒し頭蓋骨
骨折、全治2カ月。

2009年:愛犬の散歩で足を捻挫。

2009年1月の当コラムでは『骨折注意報』と題し、塚地武雅、テリー伊藤など、
当時の芸能界で頻発していた骨折の動向を紹介したのだが、骨折王のお笑い
芸人「NON STYLE」の石田明(白い方)よりも、布袋は虚弱体質ではないか。


◎ 小塚崇彦(フィギュアスケート選手)
    平成元年愛知県生まれ
父から手ほどきを受け5歳からフィギュアスケートを始める。平成16年全日本
選手権のショートプログラム(SP)でシニア勢を抑えて1位となり(最終順位
は4位)、注目を集める。17年ジュニアGPファイナルで、日本人男子として初
優勝。19~20年シーズン、GPシリーズのロシア杯で5位。12月全日本選手権で
高橋に次ぐ2位となり、20年3月の世界選手権出場権を初めて獲得。日本男子
史上初となる、親子2代での世界選手権代表となった

◎ 布袋寅泰(ロックギタリスト;ミュージシャン;音楽プロデューサー)
昭和37年群馬県生まれ
昭和55年氷室京介らと暴威を結成。57年BOOWYに改名し、アルバム「モラル」
でデビュー。62年アルバム「PSYCHOPATH」の150万枚をはじめミリオンヒット
を連発した。63年東京ドームコンサートを最後に解散、ソロ・アルバム「GUI-
TARHYTHM」を発表。8年アトランタ五輪の閉会式にギタリストとして出演。15
年タランティーノ監督の映画「キル・ビル」の主題曲に、「BATTLE WITHOUT
HONOR OF HUMANITY」が採用される。16年ギターインストアルバム「ELECTRIC
SAMURAI」を英国EMIからリリースして全英デビュー。
           (WHOPLUSより)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第68回)         ― 演歌歌手のポップス志向
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いささか旧聞に属するが、2009年末の「紅白歌合戦」で観た場面は、

いきものがかり「YELL」
坂本冬美「また君に恋してる」
木村カエラ「Butterfly」
布施明「My Way」
コブクロ「STAY」
絢香「みんな空の下」
ドリカム「その先へ」(以上、出演順)

のところだけだった。紅組の“幸子ロボ”も、白組のシークレット出場者が誰
というのは、年明けの芸能ニュースで知ったことだった。

さて、坂本冬美の紅白出場曲「また君に恋してる」(ビリーバンバンの「いい
ちこ」CM曲カバー)を収録した邦楽カバーアルバム「Love Songs~また君に恋
してる~」は、あのスーザン・ボイルと並んで、年明けから売れ始めたようだ。
http://artist.cdjournal.com/d/-/4109081077

2008年12月の当コラムでは「邦楽カバーの量産時代」と題し、徳永英明、岩崎
宏美、スターダスト・レビュー、稲垣潤一らの邦楽カバーアルバムの動向に触
れたのだが、ちょうどその頃から、さまざまな演歌歌手がそれぞれのアルバム
の片隅に収録した邦楽カバーだけを集めた「エンカのチカラ」シリーズが、コ
ロムビアから発売され、この1月には第3弾が出ている。
http://columbia.jp/enkanochikara/

しかし、1人の演歌歌手がポップス/ニューミュージック系の邦楽カバーだけに
的を絞って新アルバムを制作したのは、これが初めてではないだろうか?
(藤圭子や五木ひろしが、洋楽ポップスをカバーをしたアルバムはある。)
冬美は、かつて細野晴臣・忌野清志郎と「HIS」として共演したり、その時の縁
で、ビートルズのカバーアルバム「LOVE LOVE LOVE」(2009年10月発売)に参
加するなど、ポップス系楽曲との相性が良い声質の持ち主と言えるだろう。

◎ 坂本冬美(歌手)
    昭和42年和歌山県生まれ
昭和61年春から作曲家・猪俣公章の内弟子として修業を積み、62年「あばれ
太鼓」で演歌歌手としてデビュー。63年NHK「紅白歌合戦」に初出場。平成5
年のNHK大河ドラマ「炎立つ」に出演。6年16ビートを加えた演歌「夜桜お七」
が大ヒット。14年4月休業に入るが、15年3月復帰。21年ロック調のシングル
「アジアの海賊」をリリース。          (WHOPLUSより)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第67回)           ― 団長安田の熱中時間
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NHKテレビ「熱中時間~忙中“趣味”あり~」に、安田大サーカスの団長安田が
出演した回を観た(11月にBSで放映した回の総合テレビでの再放送)。

急な傾斜の坂を「激坂」と名付け、自転車で都内の「激坂」を登るのにハマっ
ているのだとか。しかも、(1)スタートまでの助走をつけない、(2)坂の途中で
蛇行しない、(3)坂道には絶対に足をつかない、という厳しい条件を課している。

さて、団長が選んだ「激坂」地域は意外にも「田園調布」。この辺りが「激坂」
だらけであることは、この番組で初めて知った。

「勾配26%(100m進むと26m高くなる!)」の坂を、団長は自転車のサドルに座っ
たまま(つまり脚力だけで)登ったのだ。いや、それだけでなく「田園調布」
エリアにある50の坂道を、同様に登りきって制覇したのだ。
テレビ朝日の深夜枠に「全力坂」(http://www.tv-asahi.co.jp/saka/)という、
女性タレントが坂道を全力で走りきる姿だけを流す番組があるが、それの自転
車版といったところだ。

改めてブログ「団長安田の自転車男ペダリング・マン」を見てみると、団長は
今やコメディアンではなく、アスリートのような生活ぶりだ。松竹芸能の先輩・
森脇健児の「走る男 II」の後任を狙っているに違いない。


◎ 団長安田(コメディアン)
    昭和49年兵庫県生まれ
    平成13年元力士で178センチ178キロの巨漢のHIRO、女の子のようなソプラノ
    ボイスのクロちゃんと、お笑いトリオ・安田大サーカスを結成。トリオ漫才
のリーダーで、赤ふんどし姿で個性の強い二人の暴走を止めるのが役回り。
16年ABCお笑い新人グランプリで優秀新人賞を受賞。
(WHOPLUSより)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第66回)   ― デスラー総統は、くもじいになった。
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テレビアニメ「宇宙戦艦ヤマト」放映から35周年ということで、劇場版アニメ
「宇宙戦艦ヤマト 復活篇」が公開間近となったり、キムタク主演で実写版の
制作が発表されたりと、リバイバルムードなのである。実写版の主要なキャス
トが10月に発表されたが(沖田十三役=山崎努、徳川彦左衛門役=西田敏行、
藤堂平九郎役=橋爪功...etc.)、デスラー総統などの敵役は未だ発表されて
いない。
大かたの「ヤマト」世代は「デスラー役といえば伊武雅刀。実写版でもやっ
てほしいぞ!」と思っているに違いない。フジテレビ「白い巨塔」(唐沢寿
明版)で浪速大学学長役を演じていた伊武の姿は、デスラーを実写版でやっ
たらこうなのでは?と思ったものだ。

さて、実写版「ヤマト」の配役談義はさておいて、この秋から伊武は新境地
を開拓した。テレビ東京系「空から日本を見てみよう」の番組ナビゲーター
である。「空から・・・」は、ヘリコプターからの空撮映像で街を巡る、同局
の「出没!アド街ック天国」とは切り口を変えた“街発掘バラエティー”で
ある。(http://www.tv-tokyo.co.jp/sorakara/)
昨年から特番の形で何度か放映されていたのだが、10月からレギュラー化と
なった。番組ナビゲーターは「くもじい」と「くもみ」というキャラクター
で、それぞれの声を、伊武と柳原可奈子が担当しており、空撮映像に不思議
な建物が映っていると「あの渦巻きは何じゃ?」「あそこのビルすごく尖っ
てますぅ」などと掛け合い、注目物件の紹介に変わる構成なのである。

しかし、特番で放映されていた頃は「くもじい」「くもみ」のキャラクター
設定は無く、ナレーターの藤村俊二(オヒョイ)が案内役「じじい」を名乗っ
ていたので、レギュラー化の第一回を観た時、爺さん声の正体が誰だかわか
らなかったのだ。思えば伊武は「スネークマン・ショー」をやっていたぐら
いだから、声色の演技は得意中の得意なのだが、ゴールデンタイムのテレビ
バラエティでそれを披露するとは意外だった。

空撮映像で街を巡る番組の元祖は、高度成長期に日本教育テレビ(現・テレ
ビ朝日)が、平日夕方に放映していた5分番組「東京の空の下」であろう。
こちらは純粋なドキュメンタリー番組で、淡々としたナレーションで街を紹
介していたことを覚えている。
奇しくも現在、CS放送のテレ朝チャンネルで、同番組のアーカイブを放映中
である。(http://www.tv-asahi.co.jp/channel/contents/info/0070/)
「空から・・・」と「東京の・・・」の両番組を見比べるのも一興だと思う。

◎ 伊武雅刀(俳優;声優)
    昭和24年東京都生まれ
現代演劇協会附属演劇研究所、俳優小劇場の研究生などを経て、オーディショ
ンでFMラジオ局の音楽DJに合格。昭和49年アニメ「宇宙戦艦ヤマト」のデス
ラー総統役を獲得。51年ラジオ大阪の番組「スネークマン・ショー」に参加。
その後は俳優として活動し、ドラマ「金曜日の妻たちへ2」とNHK大河ドラマ
「いのち」の出演で、俳優として全国的に知られるようになる。

◎ 柳原可奈子(タレント)
昭和61年東京都生まれ
平成16年に太田プロダクション入り。ふくよかな体形にギャル系のファッショ
ンで、“ショップ店員”“総武線の女子高生”などを持ちネタとする。19年
バラエティー番組「爆笑レッドカーペット」でグランプリにあたるレッドカー
ペット賞を受賞。
(WHOPLUSより)

(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第65回)          ― 34年目のリニューアル
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「菊正宗」のCMソング「初めての街で」が、同社の創業350年を記念して、演歌
歌手・ジェロによるカバー・バージョンで流れている。もともと歌詞の内容か
らして男歌なのだが、初登場の1975年以来、西田佐知子の歌声で続いてきた。
日立グループ「この木なんの木」や崎陽軒の「シウマイ旅情」は長寿CMソング
の雄といえるが、歌手やアレンジを変えては何度も録音し直して流している。

菊正宗酒造のCMギャラリーHPに、西田本人もコメントを寄せているのだが、1つ
のCMソングがバージョンを変えることなく、34年間も使われてきたというのは、
めまぐるしく変わっていく広告業界では珍しいことだと思う。その間に歌い手
本人は芸能界を引退しているにもかかわらずだ。
http://www.kikumasamune.co.jp/cm/

かつて、「明治チェルシーの唄」(作詞:安井かずみ、作曲:小林亜星)を
歌い継いだ歌手(シモンズ、サーカス、八神純子、あみん、PUFFY...etc.)
のコンピレーションCDが発売されたことがあるが、この「初めての街で」も、
ジェロ以外の歌手にもカバーしてもらって、コンピレーションCD化してはど
うだろうか。


◎ ジェロ(歌手)
1981年ペンシルベニア州ピッツバーグ生まれ
祖母は日本人で、祖母が口ずさむ美空ひばりの歌に心を動かされ、初めて覚え
た歌はひばりの「越後獅子の唄」。2003年演歌歌手を目指して来日、英会話教
師として和歌山県に赴任。その後、コンピューターエンジニアとして大阪で勤
務。仕事の傍ら各地のカラオケ大会に出場、アマチュア演歌歌手として精力的
に活動を続けているところをレコード会社にスカウトされ、2008年「海雪」で、
異色の黒人演歌歌手としてデビュー

◎ 西田佐知子(歌手)
昭和29年、新人歌手コンテストに合格、上京して作曲家・豊田一雄にレッスン
を受ける。32年「伊那の恋唄」でデビュー。日本コロムビア(芸名=浪花けい
子)を経て、34年グラモフォンに移り、芸名を西田佐知子と改名。36年「コー
ヒー・ルンバ」がヒットし、NHK「紅白歌合戦」に初出場。37年には「アカシ
アの雨がやむとき」の大ヒットでスター歌手の仲間入りをし、ムード歌謡の
第一人者となる。

◎ 永六輔(放送作家;作詞家;随筆家;タレント)
昭和8年台東区浅草生まれ
早大時代落語に熱中し、19歳の時NHK「日曜娯楽版」に投稿、三木鶏郎の冗談
工房に入って、ラジオ・テレビ番組の構成者・出演者として活躍。また中村八
大とのコンビで「黒い花びら」「上を向いて歩こう」などヒット曲の作詞や、
脚本・司会も手がける。昭和42年からラジオ「誰かとどこかで」を担当。

◎ 中村八大(作曲家;ピアニスト)
昭和6年中国・青島生まれ 平成4年没
小学校3年からピアノを学び、早大高等学院時代には天才ジャズピアニストと
謳われる。早大ではジョージ川口、松本英彦、小野満とビッグ・フォーを結成。
のち永六輔と知り合い、詩と曲を持ち寄って生まれた「黒い花びら」が昭和34
年の第1回日本レコード大賞受賞。以来、永六輔との名コンビぶりが続いた。

(WHOPLUSより)


(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第64回)             ― 夏らしくない夏
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高校野球の熱闘が終わり、世界陸上ベルリン大会も終わり、セミの声がツクツ
クボウシに変わり、井上陽水の「少年時代」がラジオで頻繁に流れるようにな
ると、夏の終わりが感じられる。というよりも、今年は“夏らしくない夏”で
終わってしまったようだ。

今年の高校野球は、開会式の日に地元の出場校が1回戦敗退してしまったため、
大会の前半はスポーツニュースもほとんど観ていなかった。お盆休みの時期を
挟んで北の大地へ旅行に出かけたのだが、その期間にちょうど札幌第一と智弁
和歌山の因縁試合があって、美瑛の丘をレンタサイクルで巡りながらラジオ中
継を聴き、美瑛駅近くの銭湯のロビーでテレビ中継を観たのが、試合の初回か
ら終了までを通して見聞きした唯一の試合だった。

さて、高校野球といえば応援ポスターである。正確には「ビクター・甲子園ポ
スター」キャンペーンという、各代表校の名前が入ったタレントポスターのこ
とだ。しかし、スポンサーの日本ビクターが昨年来の業績低迷で、今夏のポス
ターキャンペーンは休止となった。駅などに貼られたポスター群は、夏らしさ
を演出していた重要アイテムだったのだ。
とは言ううものの、キャンペーンに起用されたタレントでポスターの姿が思い
浮かぶのは2005年の戸田恵梨香ぐらいまでで、過去3年の藤井美菜、南沢奈央、
石橋杏奈はポスターの印象が薄いのはなぜだろうか。

この応援ポスターシリーズで初めて起用されたタレントが、キャンペーン休止
となった今年の夏に、ワイドショーの主役になったのは何とも皮肉なことだ。


◎ 藤井美菜(女優)
昭和63年新潟県生まれ
高校から女優活動を始め、平成17年インテルのCMで映像デビュー。18年女子カー
リングチームを描いた「シムソンズ」で映画に初出演し、注目を集める。同年
ビクター甲子園ポスターのキャンペーンモデルに起用される。
20年「雨の翼」で映画初主演したほか、「ブラッディ・マンデイ」「鹿男あを
によし」などのテレビドラマに出演。

◎ 南沢奈央(女優)
平成2年埼玉県出身
中学時代にスカウトされ、高校入学後に芸能界入り。平成18年BS-iの連続ドラ
マ「恋する日曜日 ニュータイプ」の主演で女優デビュー。19年ビクター主催
の夏の"甲子園ポスター"キャンペンガールに選ばれる。同年「象の背中」で映
画初出演。

◎ 石橋杏奈(女優)
平成4年福岡県生まれ
平成18年14歳の時に第31回ホリプロタレントスカウトキャラバンでグランプリ
を獲得。19年テレビドラマ「失踪HOLIDAY」で女優デビュー。20年「きみの友
だち」で映画初主演。「SEVENTEEN」専属モデル、赤い羽根共同募金のイメー
ジキャラクターも務める。
(WHOPLUSより)


(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第63回)          ― 駄洒落ではなくお洒落
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山下達郎のラジオ番組を聴いていたら、コピーライターの眞木準が6月に亡くなっ
たことを伝えていた。達郎の今年のライブにも顔を出して、また飲みにいきま
しょうと約束したばかりだっただけに、古くからの仕事仲間の突然死は信じら
れなかったという。その日の番組は、眞木のコピー作品とタイアップした達郎
の「高気圧ガール」を最後に流して、哀悼の意を表していた。

眞木が手がけたコピー作品といえば、

「でっかいどお。北海道。」(全日空:北海道キャンペーン)
「おぉきぃなぁワッ。」(全日空:沖縄キャンペーン)
「ホンダ買うボーイ。」(ホンダ)
「グラマー民族の大移動。」(伊勢丹)

などが知られていて、いわゆる駄洒落・オヤジギャグ系のコピーライターとい
うイメージが強かった。
業界仲間や広告学校の生徒などから、「この駄洒落コピーは…」と指摘され
るたびに、眞木は「これは駄洒落ではなく、お洒落だ」と返すのが持論だった
という。
大塚商会「たのめーる」のCMでお馴染みの「あ、コピー用紙がない! サイズ
は…? A4でえーよん」等々で繰り広げられるオヤジギャグに比べると、眞木
が言う“お洒落コピー”には、確かにトホホ感が無い。

これらの広告・CMを見聞きして育った世代が、1990年代の『ボキャブラ天国』
の出演からブレイクして、今ではそれぞれの看板番組を持っている爆笑問題、
ネプチューン、くりぃむしちゅー(当時:海砂利水魚)といったお笑い芸人だ
と思う。

さて、昨秋は「禁煙パイポ」(マルマン)や「タンスにゴン」(金鳥)のCMで
知られるディレクターの市川準が、今春には「戻っておいで・私の時間」(伊
勢丹)や「君のひとみは10000ボルト。」(資生堂)などで知られるコピーラ
イターの土屋耕一が、この世を去ってしまった。

そして今年は『広告批評』誌が休刊になった。

広告業界の流れや、クリエイターの一世代が大きく変わった転換期ではない
だろうか。


◎ 眞木準(コピーライター;クリエイティブディレクター)
昭和23年愛知県生まれ 平成21年6月没
博報堂に入社しコピー専業。3年目でTCC(東京コピーライターズクラブ)最高
新人賞。「10歳にして愛を知った」(ライオンファイル)でTCCクラブ賞獲得。
55年以後連続3年同賞に輝く。58年からフリー。63年朝日新聞社が創刊した雑誌
「AERA」の誌名を発案。

◎ 市川準(映画監督;CMディレクター) 
昭和23年東京生まれ 平成20年9月没
東京芸術大学美術学部を目指すが、5浪してあきらめ、原宿学校や美学校で学ぶ。
CF製作プロダクションを経て、昭和57年独立し、59年のマルマン「禁煙パイポ」
のCMをはじめ、金鳥「タンスにゴン」、ヤクルト「タフマン」など400作を超え
るCMを制作。62年「BU・SU」で映画監督としてデビュー。「ノーライフキング」
「病院で死ぬということ」「東京夜曲」などの作品を発表。平成16年ロカルノ
国際映画祭で「トニー滝谷」が準グランプリにあたる審査員特別賞と国際批評
家連盟賞、ヤング審査員賞をトリプル受賞した。

◎ 土屋耕一(コピーライター;回文作家)
昭和5年東京生まれ 平成21年3月没
昭和31年資生堂宣伝部嘱託となり、コピーライトを手がける。35年からライト
パブリシティに所属、51年フリーとなる。回文の本「軽い機敏な仔猫何匹いる
か」も刊行。
(WHOPLUSより)


(袴田)

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【3】話題のカタマリ(第62回)       ― 銭湯が空になる(21世紀編)
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仕事柄、様々な地方自治体や団体が発行するメールマガジンに登録しており、
毎週のように目を通している。
“米百俵”で有名な、とある自治体のメルマガの導入文で、大河ドラマ『天地
人』の人気は、その自治体の水道の使用量にも影響を与えているという話が出
ていて面白かった。
その自治体では、毎週日曜の20時前から水道の使用量が減り始め、ドラマが終
了する21時前になると増える傾向があるというのだ。
水道局の推測によると、そこの市民はドラマの放映中はトイレやお風呂を我慢
して観ているのではないかとのことだ。

かつて昭和期には、人気ラジオドラマ『君の名は』(1952年)の放送時間に
街の女湯が空になるという噂があったそうだし、NHK朝のテレビ小説『おは
なはん』(1966年)の放映時には水道の使用量が減るという現象が全国各地で、
起こったという。家庭用ビデオが十分に普及した平成の世になっても、『東京
ラブストーリー』(1991年)が放映されていた月曜夜9時には“渋谷からOLが
消える”などといわれていたが、ホントのところはどうだったのか?

大河ドラマの前作『篤姫』の頃には鹿児島で水道の使用量が減ったという話は
聞いたことがないが、ハードディスクレコーダーが普及しつつある現在でも、
リアルタイムに好きなドラマを観る習慣は失われていないのだと思う。


◎ 妻夫木聡(俳優)
昭和55年福岡生まれ
アミューズ、ホリプロ、ニッポン放送による“アホポンプロジェクト”による
世界初のオーディションマシン・スタアオーディションの超ビッグオーディショ
ン第1回グランプリに選ばれ、芸能界入り。平成10年フジテレビ系ドラマ「すば
らしい日々」で俳優デビュー。13年初主演映画「ウォーターボーイズ」が大ヒッ
ト。15年「ブラックジャックによろしく」で連続ドラマ初主演。21年のNHK大河
ドラマ「天地人」で主人公・直江兼続を演じる。

◎ 火坂雅志(小説家)
昭和31年新潟生まれ
出版社勤務を経て、昭和63年「花月秘拳行」でデビュー。平成19年戦国武将・
直江兼続を描いた「天地人」で中山義秀文学賞を受け、21年にはNHK大河ドラマ
の原作となった。

◎ 織井茂子(歌手)
大正15年東京生まれ 平成8年没
「カルメン純情す」「マンボ・ムーン」などで注目され始め、昭和28年10月発
売の菊田一夫作詞・古関裕而作曲による「君の名は」で一躍スターダムにおど
り出る。

◎ 樫山文枝(女優)
昭和16年東京生まれ
俳優座養成所から劇団民芸の俳優教室に入り、40年劇団員となる。39年「アン
ネの日記」の5代目アンネに抜擢され、初舞台。41年NHKテレビ小説「おはなは
ん」で好演して茶の間の人気を独占した。

◎ 鈴木保奈美(女優)
昭和41年東京生まれ
昭和59年にホリプロ・タレントスカウトキャラバンに出場、特別賞を受賞して
芸能界入り。60年ドラマ「匂いガラス」で女優デビュー。61年カネボウ夏のキャ
ンペーンガールに選ばれる。63年NHK朝の連続テレビ小説「ノンちゃんの夢」で
人気を得、平成3年「東京ラブストーリー」のヒロイン・赤名リカ役で人気を決
定づける。
(WHOPLUSより)

(袴田)

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