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【1】WHO's NEW? -WHOPLUS新着プロフィール情報
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11/17~12/7までにプロフィールが更新された著名人はこちら!
― ( )内の日付はご本人によるプロフィール回答年月日です ―
◎ 小中陽太郎(作家)
近年はワイドショーキャスター、コメンテーターとしておなじみ。日本ペンク
ラブ理事、名古屋経済大学短期大学部放送コース客員教授なども務める。近著
に「ラメール母」がある (2006.11.17)
◎ 岸谷美穂(ピース・ウィンズ・ジャパンイラク・プログラム・コーディネー
ター)
平成12~15年イラク北部クルド人自治区に赴任し、7万人のクルド人の人道支援
の現場責任者を務めた (2006.11.27)
◎ 飯野勝己(「平凡社新書」編集長)
平成11年の平凡社新書創刊に際して同編集部に配属され、13年より編集長を務
める (2006.11.30)
◎ 高橋利幸((株)ハドソン勤務)
ゲームソフト開発会社ハドソンでソフトの販売促進を担当する傍ら、昭和60年
頃1秒間に16回ボタンを連打する必殺技や裏技を駆使する“高橋名人”として
ファミリーコンピュータファンの子供たちの教祖的存在となる (2006.12.4)
◎ 柳田理科雄(作家・空想科学研究所主任研究員)
平成8年に出版した「空想科学読本」が60万部を超える大ベストセラーとなり、
以後シリーズ化された。17年より明治大学理工学部非常勤講師も務める。近著
に「なぜ僕は理科を好きになったのだろう?」がある (2006.12.7)
◎ 松岡至(日本テレビ制作局担当チーフプロデューサー)
「ザ!鉄腕!DASH!!」「行列のできる法律相談所」等をプロデュースする他、
平成17年より「24時間テレビ」の総合プロデューサーを務める (2006.12.7)
(回答順、敬称略)
このコーナーでは、最近アンケートにご回答いただき、WHOPLUSに登録
された著名人のプロフィールの一部分を紹介しています。
さらに詳しいプロフィールや連絡先はWHOPLUSでチェックしてね!
【1】WHO's NEW? -WHOPLUS新着プロフィール情報
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◎ 小中陽太郎(作家)
近年はワイドショーキャスター、コメンテーターとしておなじみ。日本ペンク
ラブ理事、名古屋経済大学短期大学部放送コース客員教授なども務める。近著
に「ラメール母」がある (2006.11.17)
◎ 岸谷美穂(ピース・ウィンズ・ジャパンイラク・プログラム・コーディネー
ター)
平成12~15年イラク北部クルド人自治区に赴任し、7万人のクルド人の人道支援
の現場責任者を務めた (2006.11.27)
◎ 飯野勝己(「平凡社新書」編集長)
平成11年の平凡社新書創刊に際して同編集部に配属され、13年より編集長を務
める (2006.11.30)
◎ 高橋利幸((株)ハドソン勤務)
ゲームソフト開発会社ハドソンでソフトの販売促進を担当する傍ら、昭和60年
頃1秒間に16回ボタンを連打する必殺技や裏技を駆使する“高橋名人”として
ファミリーコンピュータファンの子供たちの教祖的存在となる (2006.12.4)
◎ 柳田理科雄(作家・空想科学研究所主任研究員)
平成8年に出版した「空想科学読本」が60万部を超える大ベストセラーとなり、
以後シリーズ化された。17年より明治大学理工学部非常勤講師も務める。近著
に「なぜ僕は理科を好きになったのだろう?」がある (2006.12.7)
◎ 松岡至(日本テレビ制作局担当チーフプロデューサー)
「ザ!鉄腕!DASH!!」「行列のできる法律相談所」等をプロデュースする他、
平成17年より「24時間テレビ」の総合プロデューサーを務める (2006.12.7)
(回答順、敬称略)
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【3】話題のカタマリ(第34回) ― 「ブラジル時間」を貫く男
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三連休の最終日11/5 (日)に、東京国際フォーラムで「ジョアン・ジルベルト
JAPAN TOUR 2006 THE BOSSA NOVA ~最後の奇跡~」を観た。ボサノバの創始
者と呼ばれるアントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・デ・モライス、
ジョアン・ジルベルトのうち、ご存命なのはジョアンだけなので、"最後の奇跡"
と銘打たれているのである。
とはいえ、3年前の初来日の時も"最初で最後の来日公演"と言われていたぐらい
だったのに、今回で3度目の来日、しかも世界初のDVD収録の公演日を予告する
とは、よほど日本を気に入ってくれたらしい。
◎ ジルベルト,ジョアン 1931年6月ブラジル・バイーア州ファセイロ生まれ
ボサノバ歌手;ギタリスト
ブラジルのサンバと米国のジャズを聴いて育つ。1950年代初めにはリオで活動、
ギターの伴奏で評判となる。'56年作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン
と出会い、ジョビンの監修で弾き語りのレコードを制作。この独特の音楽は、
"ボサノバ"と呼ばれてブラジル国内で人気を呼ぶ。'63年アルバム「ゲッツ/ジ
ルベルト」の収録曲で妻アストラッド(のち離婚)が歌う「イパネマの娘」が大
ヒットし、世界中でボサノバブームが出現。2003年初来日公演。
◎ ジョビン,アントニオ・カルロス 1927年1月25日ブラジル・リオデジャネ
イロ生まれ、1994年12月8日没
作曲家;ピアニスト
14歳からピアノ、次いで音楽理論を学び始め、1953年旧友のビリー・ブランコ
との共作「浜辺のテレーザ」が大ヒット、作曲家として認められた。'58年頃
から作った新しい感覚のサンバ歌曲が、"ボサノバ"と呼ばれ、'63年「イパネ
マの娘」が全米で大ヒット。'91年にはニューヨークにある作曲家(ソングライ
ター)殿堂入りし、ブラジルでは"トム・ジョビン"の名前で知られる国民的英
雄だった。
◎ モライス,ヴィニシウス・デ 1913年10月19日ブラジル・リオデジャネイ
ロ生まれ、1980年7月9日没
詩人;劇作家
1933年詩「遠くへの道」で文壇にデビュー。'38年奨学金を受けてオックスフォ
ード大学で英文学を専攻。'55年戯曲「聖母懐胎祭のオルフェ」を音楽詩劇と
して初演、2年後これが「黒いオルフェ」として映画化され有名になった。'63
年アメリカでヒットしたボサノバの名曲「イパネマの娘」の作詞家でもある。
(データベース「WHOPLUS」より)
さてコンサート当日の模様だが、ホールの入口には次のような貼り紙があった。
「開演時間は予定です。アーティストの都合で開演時間が遅れる場合がございま
すので予めご了承ください」(^^;)
16時開場、17時開演予定だったのだが、開演時刻を過ぎたところで、「アーティ
ストは、まだホテルを出ていません」と場内アナウンスがあった。ジョアンのコ
ンサートは初体験らしい人々からは「え~っ!」と驚く声もあがっていたが、お
おかたの反応は「ブラジル人なんだから、そんなもんでしょ。しょうがないよ」
といった、和やかな笑いに包まれた。
そんなわけで、ロビーへ戻ってパンフレットを買ったり、ドリンクバーでワイン
を飲んだりして17時30分頃に一度着席。そして17時40分に「アーティストは、た
だ今、ホテルを出発しました」とアナウンスが流れると、場内には歓声がどよめ
いた。
それから約10分後、ついに「アーティストは、ただ今、会場に到着しました」の
アナウンスが告げられると、大歓声だけでなく拍手も起こり、そりゃもう街は大
騒ぎさ。(笑)
しかし、これだけ待たされると、聴きたい気持ちが高まってくるもので、5分後
には場内の明かりが落とされ、ギターを持ったジョアン爺さんが、一人でステー
ジに現れた。
コンサートの内容は、来年発売される世界初のライブDVDで楽しんでいただくと
して、あくまでも「ブラジル時間」を貫く古老のマイペースぶりには脱帽した
一夜であった。
(袴田)
【3】話題のカタマリ(第34回) ― 「ブラジル時間」を貫く男
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三連休の最終日11/5 (日)に、東京国際フォーラムで「ジョアン・ジルベルト
JAPAN TOUR 2006 THE BOSSA NOVA ~最後の奇跡~」を観た。ボサノバの創始
者と呼ばれるアントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・デ・モライス、
ジョアン・ジルベルトのうち、ご存命なのはジョアンだけなので、"最後の奇跡"
と銘打たれているのである。
とはいえ、3年前の初来日の時も"最初で最後の来日公演"と言われていたぐらい
だったのに、今回で3度目の来日、しかも世界初のDVD収録の公演日を予告する
とは、よほど日本を気に入ってくれたらしい。
◎ ジルベルト,ジョアン 1931年6月ブラジル・バイーア州ファセイロ生まれ
ボサノバ歌手;ギタリスト
ブラジルのサンバと米国のジャズを聴いて育つ。1950年代初めにはリオで活動、
ギターの伴奏で評判となる。'56年作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン
と出会い、ジョビンの監修で弾き語りのレコードを制作。この独特の音楽は、
"ボサノバ"と呼ばれてブラジル国内で人気を呼ぶ。'63年アルバム「ゲッツ/ジ
ルベルト」の収録曲で妻アストラッド(のち離婚)が歌う「イパネマの娘」が大
ヒットし、世界中でボサノバブームが出現。2003年初来日公演。
◎ ジョビン,アントニオ・カルロス 1927年1月25日ブラジル・リオデジャネ
イロ生まれ、1994年12月8日没
作曲家;ピアニスト
14歳からピアノ、次いで音楽理論を学び始め、1953年旧友のビリー・ブランコ
との共作「浜辺のテレーザ」が大ヒット、作曲家として認められた。'58年頃
から作った新しい感覚のサンバ歌曲が、"ボサノバ"と呼ばれ、'63年「イパネ
マの娘」が全米で大ヒット。'91年にはニューヨークにある作曲家(ソングライ
ター)殿堂入りし、ブラジルでは"トム・ジョビン"の名前で知られる国民的英
雄だった。
◎ モライス,ヴィニシウス・デ 1913年10月19日ブラジル・リオデジャネイ
ロ生まれ、1980年7月9日没
詩人;劇作家
1933年詩「遠くへの道」で文壇にデビュー。'38年奨学金を受けてオックスフォ
ード大学で英文学を専攻。'55年戯曲「聖母懐胎祭のオルフェ」を音楽詩劇と
して初演、2年後これが「黒いオルフェ」として映画化され有名になった。'63
年アメリカでヒットしたボサノバの名曲「イパネマの娘」の作詞家でもある。
(データベース「WHOPLUS」より)
さてコンサート当日の模様だが、ホールの入口には次のような貼り紙があった。
「開演時間は予定です。アーティストの都合で開演時間が遅れる場合がございま
すので予めご了承ください」(^^;)
16時開場、17時開演予定だったのだが、開演時刻を過ぎたところで、「アーティ
ストは、まだホテルを出ていません」と場内アナウンスがあった。ジョアンのコ
ンサートは初体験らしい人々からは「え~っ!」と驚く声もあがっていたが、お
おかたの反応は「ブラジル人なんだから、そんなもんでしょ。しょうがないよ」
といった、和やかな笑いに包まれた。
そんなわけで、ロビーへ戻ってパンフレットを買ったり、ドリンクバーでワイン
を飲んだりして17時30分頃に一度着席。そして17時40分に「アーティストは、た
だ今、ホテルを出発しました」とアナウンスが流れると、場内には歓声がどよめ
いた。
それから約10分後、ついに「アーティストは、ただ今、会場に到着しました」の
アナウンスが告げられると、大歓声だけでなく拍手も起こり、そりゃもう街は大
騒ぎさ。(笑)
しかし、これだけ待たされると、聴きたい気持ちが高まってくるもので、5分後
には場内の明かりが落とされ、ギターを持ったジョアン爺さんが、一人でステー
ジに現れた。
コンサートの内容は、来年発売される世界初のライブDVDで楽しんでいただくと
して、あくまでも「ブラジル時間」を貫く古老のマイペースぶりには脱帽した
一夜であった。
(袴田)
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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第25回) 坂本あおい
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この野菜がおいしくいただけるのは
鍋料理の季節がやってきた
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
寒くなってくると、がぜん出番が多くなるのが、鍋料理ではないだろうか。水
炊き、ちゃんこ、石狩鍋に新顔の豆乳鍋。最近では中華系の火鍋や薬膳鍋を出
す店もふえてきた。みんなでひとつの鍋をつつく、あの一体感。会話もはずみ、
身も心もホカホカして、ああ、幸せだなあ。そんな各種の鍋料理に欠かせない
のが白菜だ。スープの色にそまり、ほかの具材にしっかりとよりそってくれる、
名脇役。ということで、今回はこの野菜にスポットをあててみたいと思う。
白菜はデリケートな野菜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
白菜は、すっかり食卓にとけこんでいる感があるが、日本に定着したのは、そ
れほど昔のことではないらしい。古くは秀吉時代のあたりから、大陸方面より
持ち込まれたが、土着の野菜とまざり消えてしまった。特に日清・日露戦争の
ときには、こっそり種を日本に持ち帰る兵士も多かったようだけれど、せっか
く栽培に成功しても、種をとってまくとべつの野菜に化けてしまう。これには
みんな、ガッカリだった。
じつは白菜には交雑しやすい性質があって、白くて葉っぱのキュッととじた清
純な白菜を育てても、いつのまに、どこぞの種がまざって、カブやナタネなど
との交雑種が生まれてくる。うらで悪さをしていたのはミツバチだった。彼ら
がせっせと花粉をはこんでくるので、種がまざってしまうのだ。
仙台白菜の生みの親
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そこで、白菜を離島でそだてるというナイスなアイディアを考えついた人がい
た。沼倉さんという人である。
なぜ、わたしがこんな話を知っているかというと、この沼倉さんは知人のご先
祖さまだからだ。もちろん、WHOPLUSにも載っている。一部を抜粋して、
沼倉さんの成功の軌跡をたどってみよう。
◎ 沼倉 吉兵衛 安政6年陸奥国(宮城県登米町)生まれ、昭和17年没
農業技師
仙台白菜の生みの親
日清戦争に従軍した第二師団の兵士により同校に寄贈された白菜の栽培に着
手。明治39年伊達家養種園技師を兼務、本格的に結球白菜の栽培と採種法を
試みる。カブやアブラナなどとの花粉の交雑をさけるため離島での栽培を行
い、大正3年優良な種子の大量採種に成功。11年松島白菜として初めて農家
に配布、12年には東京市場への出荷された。仙台から出荷されたため"仙台
白菜"と呼ばれ、全国に知られた。
(データベース「WHOPLUS」より)
わたしはいわゆる鍋奉行ではないので、いつも、いたって従順に、おとなしく
鍋を食べているのだけど、この手の話をたくさん仕入れてしまうと、鍋のウン
チク屋になってしまいそうでこわい。「知ってる? 白菜って…」、「しゃぶ
しゃぶ鍋のルーツはね…」とかなんとか。うっとうしがられないように、気を
つけねば。
【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第25回) 坂本あおい
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この野菜がおいしくいただけるのは
鍋料理の季節がやってきた
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
寒くなってくると、がぜん出番が多くなるのが、鍋料理ではないだろうか。水
炊き、ちゃんこ、石狩鍋に新顔の豆乳鍋。最近では中華系の火鍋や薬膳鍋を出
す店もふえてきた。みんなでひとつの鍋をつつく、あの一体感。会話もはずみ、
身も心もホカホカして、ああ、幸せだなあ。そんな各種の鍋料理に欠かせない
のが白菜だ。スープの色にそまり、ほかの具材にしっかりとよりそってくれる、
名脇役。ということで、今回はこの野菜にスポットをあててみたいと思う。
白菜はデリケートな野菜
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
白菜は、すっかり食卓にとけこんでいる感があるが、日本に定着したのは、そ
れほど昔のことではないらしい。古くは秀吉時代のあたりから、大陸方面より
持ち込まれたが、土着の野菜とまざり消えてしまった。特に日清・日露戦争の
ときには、こっそり種を日本に持ち帰る兵士も多かったようだけれど、せっか
く栽培に成功しても、種をとってまくとべつの野菜に化けてしまう。これには
みんな、ガッカリだった。
じつは白菜には交雑しやすい性質があって、白くて葉っぱのキュッととじた清
純な白菜を育てても、いつのまに、どこぞの種がまざって、カブやナタネなど
との交雑種が生まれてくる。うらで悪さをしていたのはミツバチだった。彼ら
がせっせと花粉をはこんでくるので、種がまざってしまうのだ。
仙台白菜の生みの親
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そこで、白菜を離島でそだてるというナイスなアイディアを考えついた人がい
た。沼倉さんという人である。
なぜ、わたしがこんな話を知っているかというと、この沼倉さんは知人のご先
祖さまだからだ。もちろん、WHOPLUSにも載っている。一部を抜粋して、
沼倉さんの成功の軌跡をたどってみよう。
◎ 沼倉 吉兵衛 安政6年陸奥国(宮城県登米町)生まれ、昭和17年没
農業技師
仙台白菜の生みの親
日清戦争に従軍した第二師団の兵士により同校に寄贈された白菜の栽培に着
手。明治39年伊達家養種園技師を兼務、本格的に結球白菜の栽培と採種法を
試みる。カブやアブラナなどとの花粉の交雑をさけるため離島での栽培を行
い、大正3年優良な種子の大量採種に成功。11年松島白菜として初めて農家
に配布、12年には東京市場への出荷された。仙台から出荷されたため"仙台
白菜"と呼ばれ、全国に知られた。
(データベース「WHOPLUS」より)
わたしはいわゆる鍋奉行ではないので、いつも、いたって従順に、おとなしく
鍋を食べているのだけど、この手の話をたくさん仕入れてしまうと、鍋のウン
チク屋になってしまいそうでこわい。「知ってる? 白菜って…」、「しゃぶ
しゃぶ鍋のルーツはね…」とかなんとか。うっとうしがられないように、気を
つけねば。
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【1】WHO's NEW? -WHOPLUS新着プロフィール情報
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10/30~11/6までにプロフィールが更新された著名人はこちら!
― ( )内の日付はご本人によるプロフィール回答年月日です ―
◎ 北角浩一(日本一ソフトウェア代表)
岐阜県・各務原市に拠点を置き、初の自社制作RPG(ロールプレイングゲーム)
ソフトとなった「マール王国の人形姫」シリーズをはじめ、「魔界戦記ディス
ガイア」「ファントム・ブレイブ」などのヒットゲームを連発する。
(2006.10.30)
◎ 服部文祥(登山家)
平成11年より自分の身体能力だけを頼りに燃料やコンロ、テントなどを持たず、
食料のみを携帯する“サバイバル登山”を始め、八幡平、白神山地、日高全山
などを踏破。18年「サバイバル登山家」を出版し、話題となる。(2006.11.1)
◎ 岩田一平(朝日新聞社出版本部・新書編集長)
アサヒカメラ編集長を経て、新書発行プロジェクト編集長。平成18年新書編集
長に就任。10月13日「朝日新書」が創刊、12冊が刊行された。 (2006.11.2)
◎ 太田裕子(「週刊女性」編集長)
「週刊女性」編集部、「すてきな奥さん」編集長を経て、平成18年女性として
は初となる「週刊女性」編集長に抜擢される。 (2006.11.6)
◎ 池谷 薫(ドキュメンタリー映画監督)
平成9年(有)蓮ユニバースを設立。15年ドキュメンタリー映画「延安の娘」を
企画・製作・監督し、世界各地で反響を呼ぶ。18年には元日本兵の奥村和一
(80歳)の姿を追った「蟻の兵隊」を監督する。 (2006.11.6)
◎ 福士睦(テレビプロデューサー)
日本テレビで「踊る!さんま御殿!!」「世界一受けたい授業」などのバラエ
ティ番組の演出、プロデュースを担当。今年の「24時間テレビ」総合演出も
手がけた。 (2006.11.6)
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◎ 北角浩一(日本一ソフトウェア代表)
岐阜県・各務原市に拠点を置き、初の自社制作RPG(ロールプレイングゲーム)
ソフトとなった「マール王国の人形姫」シリーズをはじめ、「魔界戦記ディス
ガイア」「ファントム・ブレイブ」などのヒットゲームを連発する。
(2006.10.30)
◎ 服部文祥(登山家)
平成11年より自分の身体能力だけを頼りに燃料やコンロ、テントなどを持たず、
食料のみを携帯する“サバイバル登山”を始め、八幡平、白神山地、日高全山
などを踏破。18年「サバイバル登山家」を出版し、話題となる。(2006.11.1)
◎ 岩田一平(朝日新聞社出版本部・新書編集長)
アサヒカメラ編集長を経て、新書発行プロジェクト編集長。平成18年新書編集
長に就任。10月13日「朝日新書」が創刊、12冊が刊行された。 (2006.11.2)
◎ 太田裕子(「週刊女性」編集長)
「週刊女性」編集部、「すてきな奥さん」編集長を経て、平成18年女性として
は初となる「週刊女性」編集長に抜擢される。 (2006.11.6)
◎ 池谷 薫(ドキュメンタリー映画監督)
平成9年(有)蓮ユニバースを設立。15年ドキュメンタリー映画「延安の娘」を
企画・製作・監督し、世界各地で反響を呼ぶ。18年には元日本兵の奥村和一
(80歳)の姿を追った「蟻の兵隊」を監督する。 (2006.11.6)
◎ 福士睦(テレビプロデューサー)
日本テレビで「踊る!さんま御殿!!」「世界一受けたい授業」などのバラエ
ティ番組の演出、プロデュースを担当。今年の「24時間テレビ」総合演出も
手がけた。 (2006.11.6)
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【3】話題のカタマリ(第33回) ― 徳光ジュニアがキー局に進出
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祝祭日には、ふだんは観る機会がない昼間から夕方にかけてのワイドショーを
暇つぶしで観ることが多い。テレビ東京で平日夕方に放映されている『レディ
ス4』もそんな番組の一つである。
さて、先日の三連休、久しぶりに同番組にチャンネルを合わせたところ、司会
が俳優の柴俊夫から、徳光和夫の二男でタレントの徳光正行(以下、徳光ジュ
ニアと呼ぶ)に替わっていたので驚いた。
徳光ジュニアといえば、関東ローカルUHF局の東京MXテレビで、平日夕方に放
映されている『5時に夢中!』という番組の司会進行ぶりが妙にとぼけていて、
好きだったのだが、彼がキー局の『レディス4』に抜擢されたということは、
『5時に...』の後任司会者は誰なのだろうか? と改編期の人事異動を探って
みた。
番組ホームページを確認したところ、この10月から俳優の萩原流行に替わった
そうである。
◎ 柴 俊夫 昭和22年4月27日東京都生まれ
俳優
大学1年のとき、誘われてモデルに。俳優にあこがれて、NHKに売り込みに出
かけ、「天下堂々」でデビュー。「新・坊っちゃん」「どてらい男」などに
主演。平成15年3月より生活情報番組「レディス4」の司会を務める。
◎ 徳光 正行 昭和46年神奈川県生まれ
タレント
元日本テレビアナウンサーで現在はフリーで活躍する徳光和夫の二男として
生まれる。平成15年「せんえつですが…。―徳光和夫の日常」を出版。その
後、MXテレビ「追っかけTV5時に夢中!」の司会などタレントとして活動。
◎ 萩原 流行 昭和28年4月8日東京都生まれ
俳優
昭和57年劇団・つかこうへい事務所に入ったのがきっかけで映画「蒲田行進
曲」などに出演、メジャーの世界に入る。他の出演作に舞台「寝盗られ宗介」、
映画「マークスの山」、テレビ「東中学3年5組」「家なき子2」「ロッカー
のハナコさん」など。
(データベース「WHOPLUS」より)
徳光ジュニアは、『5時に...』の日替わりコメンテーターのマツコ・デラッ
クスや岩井志麻子らが繰り広げる過激なトークを、得意のおとぼけぶりで適
当にいなすのが上手かったが、萩原流行はコメンテーターと一緒に悪乗りし
てしまいそうな気がするのだが、どんなものだろうか。
■『レディス4』番組ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/ladys4/
■『5時に夢中!』番組ホームページ
http://www.mxtv.co.jp/goji/
(袴田)
【3】話題のカタマリ(第33回) ― 徳光ジュニアがキー局に進出
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祝祭日には、ふだんは観る機会がない昼間から夕方にかけてのワイドショーを
暇つぶしで観ることが多い。テレビ東京で平日夕方に放映されている『レディ
ス4』もそんな番組の一つである。
さて、先日の三連休、久しぶりに同番組にチャンネルを合わせたところ、司会
が俳優の柴俊夫から、徳光和夫の二男でタレントの徳光正行(以下、徳光ジュ
ニアと呼ぶ)に替わっていたので驚いた。
徳光ジュニアといえば、関東ローカルUHF局の東京MXテレビで、平日夕方に放
映されている『5時に夢中!』という番組の司会進行ぶりが妙にとぼけていて、
好きだったのだが、彼がキー局の『レディス4』に抜擢されたということは、
『5時に...』の後任司会者は誰なのだろうか? と改編期の人事異動を探って
みた。
番組ホームページを確認したところ、この10月から俳優の萩原流行に替わった
そうである。
◎ 柴 俊夫 昭和22年4月27日東京都生まれ
俳優
大学1年のとき、誘われてモデルに。俳優にあこがれて、NHKに売り込みに出
かけ、「天下堂々」でデビュー。「新・坊っちゃん」「どてらい男」などに
主演。平成15年3月より生活情報番組「レディス4」の司会を務める。
◎ 徳光 正行 昭和46年神奈川県生まれ
タレント
元日本テレビアナウンサーで現在はフリーで活躍する徳光和夫の二男として
生まれる。平成15年「せんえつですが…。―徳光和夫の日常」を出版。その
後、MXテレビ「追っかけTV5時に夢中!」の司会などタレントとして活動。
◎ 萩原 流行 昭和28年4月8日東京都生まれ
俳優
昭和57年劇団・つかこうへい事務所に入ったのがきっかけで映画「蒲田行進
曲」などに出演、メジャーの世界に入る。他の出演作に舞台「寝盗られ宗介」、
映画「マークスの山」、テレビ「東中学3年5組」「家なき子2」「ロッカー
のハナコさん」など。
(データベース「WHOPLUS」より)
徳光ジュニアは、『5時に...』の日替わりコメンテーターのマツコ・デラッ
クスや岩井志麻子らが繰り広げる過激なトークを、得意のおとぼけぶりで適
当にいなすのが上手かったが、萩原流行はコメンテーターと一緒に悪乗りし
てしまいそうな気がするのだが、どんなものだろうか。
■『レディス4』番組ホームページ
http://www.tv-tokyo.co.jp/ladys4/
■『5時に夢中!』番組ホームページ
http://www.mxtv.co.jp/goji/
(袴田)
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【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第24回) 坂本あおい
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本の虫
あの虫はなんと呼ぶ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どうでもいい疑問とは、唐突に、頭に浮かぶものである――。
ある日、古本屋で入手した、ページの黄ばんだ本を読んでいた。文章と文字が
古めかしくて、なかなか身が入らず、いつのまにか頭では別のことを考えている。
そんなとき、ふと目の前を何かがよぎった……気がした。
本の虫。
ページをひらいたとたん、紙の上をツーとよこぎる、あのおなじみの小さい虫
だ。じっさい、その虫がいたわけではないのに、散漫な意識がわたしに幻を見せ
たのだ。そのとき、わたしはふと思った。あの虫はなんと呼ぶのだろうか?
人生のなかで何度となく目にしているというのに、そういえば名前すら知らな
いではないか。
WHOPLUSで「本の虫」のキーワードでしらべたら、「著書・著者情報」
のなかに、それらしいものが見つかった。あやうく騙されかけたが、よく見れば、
それはなかなか見事な「擬態」であった。
玉虫色の本
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
『本の虫―その生態と病理 絶滅から守るために』
第1部 本の虫とは何か(本の虫の発見;本の虫の概要;駆除・撲滅の歴史;本の虫の
変態・擬態・天敵;絶滅危惧種としての本の虫);第2部 読み虫類……
しかも著者のスティーヴン・ヤングという名前は「某作家のペンネームらしい
が、諸事情があって明かせない」(「著者紹介」より)のだそうだ。また調べた
ところ、この本では、書店に行くとなぜかトイレに行きたくなるという、日本の
「アオキマリコ現象」についても言及しているとか。ひょっとして、この著者の
生息域はニッポンなのか? なんとも玉虫色の本だ。
さて、わたしの調査結果によれば、あっちのほうの「本の虫」はどうやらチャ
タテムシというらしい。中でも屋内にいる代表的なものはヒラタチャタテといっ
て、処女生殖(単為生殖)を行うという。かの偉大な聖母を連想させることばだ
が、要するに、ヒラタチャタテはみんなメスで、オスは見つかっていないのだそ
うだ。
ちなみに、紙を食べるというイメージから、紙魚(シミ)という虫と混同され
がちだが、紙魚のほうはメタリックな銀色の鱗におおわれていて、体長は最大で
10ミリもあるという。そんな虫が本の間からスルスルとでてきたら、それはもう、
どんなホラー小説よりも恐怖というものだろう。
■アオキマリコ現象(=青木まりこ現象)
書店(古書店、図書館なども含む)に長時間いると便意を催すという現象。
『本の雑誌』第40号(1985年)の投書欄に、この体験談が「青木まりこ」とい
うペンネームで投稿されたため、こう命名された。
(「ウィキペディア(Wikipedia)」より)
■ヒラタチャタテ
昆虫綱噛虫目コナチャタテ科の微小昆虫。体長1mm。貯穀・貯蔵植物性食品に
害を及ぼす。世界中に分布。
(日外アソシエーツ刊「昆虫レファレンス事典」より)
【2】知的バラエティコラム/本日も、風まかせ!(第24回) 坂本あおい
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本の虫
あの虫はなんと呼ぶ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
どうでもいい疑問とは、唐突に、頭に浮かぶものである――。
ある日、古本屋で入手した、ページの黄ばんだ本を読んでいた。文章と文字が
古めかしくて、なかなか身が入らず、いつのまにか頭では別のことを考えている。
そんなとき、ふと目の前を何かがよぎった……気がした。
本の虫。
ページをひらいたとたん、紙の上をツーとよこぎる、あのおなじみの小さい虫
だ。じっさい、その虫がいたわけではないのに、散漫な意識がわたしに幻を見せ
たのだ。そのとき、わたしはふと思った。あの虫はなんと呼ぶのだろうか?
人生のなかで何度となく目にしているというのに、そういえば名前すら知らな
いではないか。
WHOPLUSで「本の虫」のキーワードでしらべたら、「著書・著者情報」
のなかに、それらしいものが見つかった。あやうく騙されかけたが、よく見れば、
それはなかなか見事な「擬態」であった。
玉虫色の本
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
『本の虫―その生態と病理 絶滅から守るために』
第1部 本の虫とは何か(本の虫の発見;本の虫の概要;駆除・撲滅の歴史;本の虫の
変態・擬態・天敵;絶滅危惧種としての本の虫);第2部 読み虫類……
しかも著者のスティーヴン・ヤングという名前は「某作家のペンネームらしい
が、諸事情があって明かせない」(「著者紹介」より)のだそうだ。また調べた
ところ、この本では、書店に行くとなぜかトイレに行きたくなるという、日本の
「アオキマリコ現象」についても言及しているとか。ひょっとして、この著者の
生息域はニッポンなのか? なんとも玉虫色の本だ。
さて、わたしの調査結果によれば、あっちのほうの「本の虫」はどうやらチャ
タテムシというらしい。中でも屋内にいる代表的なものはヒラタチャタテといっ
て、処女生殖(単為生殖)を行うという。かの偉大な聖母を連想させることばだ
が、要するに、ヒラタチャタテはみんなメスで、オスは見つかっていないのだそ
うだ。
ちなみに、紙を食べるというイメージから、紙魚(シミ)という虫と混同され
がちだが、紙魚のほうはメタリックな銀色の鱗におおわれていて、体長は最大で
10ミリもあるという。そんな虫が本の間からスルスルとでてきたら、それはもう、
どんなホラー小説よりも恐怖というものだろう。
■アオキマリコ現象(=青木まりこ現象)
書店(古書店、図書館なども含む)に長時間いると便意を催すという現象。
『本の雑誌』第40号(1985年)の投書欄に、この体験談が「青木まりこ」とい
うペンネームで投稿されたため、こう命名された。
(「ウィキペディア(Wikipedia)」より)
■ヒラタチャタテ
昆虫綱噛虫目コナチャタテ科の微小昆虫。体長1mm。貯穀・貯蔵植物性食品に
害を及ぼす。世界中に分布。
(日外アソシエーツ刊「昆虫レファレンス事典」より)
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【1】WHO's NEW? -WHOPLUS新着プロフィール情報
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9/25~9/27までにプロフィールが更新された著名人はこちら!
― ( )内の日付はご本人によるプロフィール回答年月日です ―
◎ 原健太郎(大衆演劇研究家)
昭和62年喜劇研究誌「笑息筋」を創刊、現在まで、編集・発行人をつとめる。
主な著書に「東京喜劇(アチャラカ)の歴史」(共著)など (2006.9.25)
◎ 笹川勇(放送作家)
飲食店で出されるおしぼりを使った“おしぼりアート”の創作に取り組み、70
種類以上の作品を考案。自身のブログ「ササブログ」で、おしぼりアートのほ
か、身のまわりの物を使った数々の“日常アート”を発表する (2006.9.25)
◎ 尾上明代(ドラマセラピスト ドラマセラピー教育・研究センター代表)
渡米の際、演じることによるドラマ効果を利用して症状を緩和する療法“ドラ
マセラピー”に出会い、平成17年米国ドラマセラピー学会の公認を受けて日本
で初めてのドラマセラピストとなる (2006.9.25)
◎ 安部一郎(柔道家)
平成18年講道館最高位の十段に昇段。全日本柔道連盟顧問なども務める。ヨー
ロッパで指導した時代、審判用語を日本語で統一することを提案、「ハジメ」
「イッポン」などが共通語となった (2006.9.26)
◎ 三橋美穂(快眠セラピスト・Sleepeace代表)
寝具会社のロフテーでは研究開発部門快眠スタジオで眠りコーディネーターと
して眠りの大切さや快眠の工夫、寝具の選び方などのアドバイスを行う。また、
全国に展開しているロフテー枕工房のピローフィッター育成も手がけた。平成
15年独立し、以後は快眠セラピストとして活躍 (2006.9.27)
(回答順、敬称略)
このコーナーでは、最近アンケートにご回答いただき、WHOPLUSに登録
された著名人のプロフィールの一部分を紹介しています。
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9/25~9/27までにプロフィールが更新された著名人はこちら!
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◎ 原健太郎(大衆演劇研究家)
昭和62年喜劇研究誌「笑息筋」を創刊、現在まで、編集・発行人をつとめる。
主な著書に「東京喜劇(アチャラカ)の歴史」(共著)など (2006.9.25)
◎ 笹川勇(放送作家)
飲食店で出されるおしぼりを使った“おしぼりアート”の創作に取り組み、70
種類以上の作品を考案。自身のブログ「ササブログ」で、おしぼりアートのほ
か、身のまわりの物を使った数々の“日常アート”を発表する (2006.9.25)
◎ 尾上明代(ドラマセラピスト ドラマセラピー教育・研究センター代表)
渡米の際、演じることによるドラマ効果を利用して症状を緩和する療法“ドラ
マセラピー”に出会い、平成17年米国ドラマセラピー学会の公認を受けて日本
で初めてのドラマセラピストとなる (2006.9.25)
◎ 安部一郎(柔道家)
平成18年講道館最高位の十段に昇段。全日本柔道連盟顧問なども務める。ヨー
ロッパで指導した時代、審判用語を日本語で統一することを提案、「ハジメ」
「イッポン」などが共通語となった (2006.9.26)
◎ 三橋美穂(快眠セラピスト・Sleepeace代表)
寝具会社のロフテーでは研究開発部門快眠スタジオで眠りコーディネーターと
して眠りの大切さや快眠の工夫、寝具の選び方などのアドバイスを行う。また、
全国に展開しているロフテー枕工房のピローフィッター育成も手がけた。平成
15年独立し、以後は快眠セラピストとして活躍 (2006.9.27)
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