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【3】話題のカタマリ(第34回) ― 「ブラジル時間」を貫く男
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三連休の最終日11/5 (日)に、東京国際フォーラムで「ジョアン・ジルベルト
JAPAN TOUR 2006 THE BOSSA NOVA ~最後の奇跡~」を観た。ボサノバの創始
者と呼ばれるアントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・デ・モライス、
ジョアン・ジルベルトのうち、ご存命なのはジョアンだけなので、"最後の奇跡"
と銘打たれているのである。
とはいえ、3年前の初来日の時も"最初で最後の来日公演"と言われていたぐらい
だったのに、今回で3度目の来日、しかも世界初のDVD収録の公演日を予告する
とは、よほど日本を気に入ってくれたらしい。
◎ ジルベルト,ジョアン 1931年6月ブラジル・バイーア州ファセイロ生まれ
ボサノバ歌手;ギタリスト
ブラジルのサンバと米国のジャズを聴いて育つ。1950年代初めにはリオで活動、
ギターの伴奏で評判となる。'56年作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン
と出会い、ジョビンの監修で弾き語りのレコードを制作。この独特の音楽は、
"ボサノバ"と呼ばれてブラジル国内で人気を呼ぶ。'63年アルバム「ゲッツ/ジ
ルベルト」の収録曲で妻アストラッド(のち離婚)が歌う「イパネマの娘」が大
ヒットし、世界中でボサノバブームが出現。2003年初来日公演。
◎ ジョビン,アントニオ・カルロス 1927年1月25日ブラジル・リオデジャネ
イロ生まれ、1994年12月8日没
作曲家;ピアニスト
14歳からピアノ、次いで音楽理論を学び始め、1953年旧友のビリー・ブランコ
との共作「浜辺のテレーザ」が大ヒット、作曲家として認められた。'58年頃
から作った新しい感覚のサンバ歌曲が、"ボサノバ"と呼ばれ、'63年「イパネ
マの娘」が全米で大ヒット。'91年にはニューヨークにある作曲家(ソングライ
ター)殿堂入りし、ブラジルでは"トム・ジョビン"の名前で知られる国民的英
雄だった。
◎ モライス,ヴィニシウス・デ 1913年10月19日ブラジル・リオデジャネイ
ロ生まれ、1980年7月9日没
詩人;劇作家
1933年詩「遠くへの道」で文壇にデビュー。'38年奨学金を受けてオックスフォ
ード大学で英文学を専攻。'55年戯曲「聖母懐胎祭のオルフェ」を音楽詩劇と
して初演、2年後これが「黒いオルフェ」として映画化され有名になった。'63
年アメリカでヒットしたボサノバの名曲「イパネマの娘」の作詞家でもある。
(データベース「WHOPLUS」より)
さてコンサート当日の模様だが、ホールの入口には次のような貼り紙があった。
「開演時間は予定です。アーティストの都合で開演時間が遅れる場合がございま
すので予めご了承ください」(^^;)
16時開場、17時開演予定だったのだが、開演時刻を過ぎたところで、「アーティ
ストは、まだホテルを出ていません」と場内アナウンスがあった。ジョアンのコ
ンサートは初体験らしい人々からは「え~っ!」と驚く声もあがっていたが、お
おかたの反応は「ブラジル人なんだから、そんなもんでしょ。しょうがないよ」
といった、和やかな笑いに包まれた。
そんなわけで、ロビーへ戻ってパンフレットを買ったり、ドリンクバーでワイン
を飲んだりして17時30分頃に一度着席。そして17時40分に「アーティストは、た
だ今、ホテルを出発しました」とアナウンスが流れると、場内には歓声がどよめ
いた。
それから約10分後、ついに「アーティストは、ただ今、会場に到着しました」の
アナウンスが告げられると、大歓声だけでなく拍手も起こり、そりゃもう街は大
騒ぎさ。(笑)
しかし、これだけ待たされると、聴きたい気持ちが高まってくるもので、5分後
には場内の明かりが落とされ、ギターを持ったジョアン爺さんが、一人でステー
ジに現れた。
コンサートの内容は、来年発売される世界初のライブDVDで楽しんでいただくと
して、あくまでも「ブラジル時間」を貫く古老のマイペースぶりには脱帽した
一夜であった。
(袴田)
【3】話題のカタマリ(第34回) ― 「ブラジル時間」を貫く男
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三連休の最終日11/5 (日)に、東京国際フォーラムで「ジョアン・ジルベルト
JAPAN TOUR 2006 THE BOSSA NOVA ~最後の奇跡~」を観た。ボサノバの創始
者と呼ばれるアントニオ・カルロス・ジョビン、ヴィニシウス・デ・モライス、
ジョアン・ジルベルトのうち、ご存命なのはジョアンだけなので、"最後の奇跡"
と銘打たれているのである。
とはいえ、3年前の初来日の時も"最初で最後の来日公演"と言われていたぐらい
だったのに、今回で3度目の来日、しかも世界初のDVD収録の公演日を予告する
とは、よほど日本を気に入ってくれたらしい。
◎ ジルベルト,ジョアン 1931年6月ブラジル・バイーア州ファセイロ生まれ
ボサノバ歌手;ギタリスト
ブラジルのサンバと米国のジャズを聴いて育つ。1950年代初めにはリオで活動、
ギターの伴奏で評判となる。'56年作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン
と出会い、ジョビンの監修で弾き語りのレコードを制作。この独特の音楽は、
"ボサノバ"と呼ばれてブラジル国内で人気を呼ぶ。'63年アルバム「ゲッツ/ジ
ルベルト」の収録曲で妻アストラッド(のち離婚)が歌う「イパネマの娘」が大
ヒットし、世界中でボサノバブームが出現。2003年初来日公演。
◎ ジョビン,アントニオ・カルロス 1927年1月25日ブラジル・リオデジャネ
イロ生まれ、1994年12月8日没
作曲家;ピアニスト
14歳からピアノ、次いで音楽理論を学び始め、1953年旧友のビリー・ブランコ
との共作「浜辺のテレーザ」が大ヒット、作曲家として認められた。'58年頃
から作った新しい感覚のサンバ歌曲が、"ボサノバ"と呼ばれ、'63年「イパネ
マの娘」が全米で大ヒット。'91年にはニューヨークにある作曲家(ソングライ
ター)殿堂入りし、ブラジルでは"トム・ジョビン"の名前で知られる国民的英
雄だった。
◎ モライス,ヴィニシウス・デ 1913年10月19日ブラジル・リオデジャネイ
ロ生まれ、1980年7月9日没
詩人;劇作家
1933年詩「遠くへの道」で文壇にデビュー。'38年奨学金を受けてオックスフォ
ード大学で英文学を専攻。'55年戯曲「聖母懐胎祭のオルフェ」を音楽詩劇と
して初演、2年後これが「黒いオルフェ」として映画化され有名になった。'63
年アメリカでヒットしたボサノバの名曲「イパネマの娘」の作詞家でもある。
(データベース「WHOPLUS」より)
さてコンサート当日の模様だが、ホールの入口には次のような貼り紙があった。
「開演時間は予定です。アーティストの都合で開演時間が遅れる場合がございま
すので予めご了承ください」(^^;)
16時開場、17時開演予定だったのだが、開演時刻を過ぎたところで、「アーティ
ストは、まだホテルを出ていません」と場内アナウンスがあった。ジョアンのコ
ンサートは初体験らしい人々からは「え~っ!」と驚く声もあがっていたが、お
おかたの反応は「ブラジル人なんだから、そんなもんでしょ。しょうがないよ」
といった、和やかな笑いに包まれた。
そんなわけで、ロビーへ戻ってパンフレットを買ったり、ドリンクバーでワイン
を飲んだりして17時30分頃に一度着席。そして17時40分に「アーティストは、た
だ今、ホテルを出発しました」とアナウンスが流れると、場内には歓声がどよめ
いた。
それから約10分後、ついに「アーティストは、ただ今、会場に到着しました」の
アナウンスが告げられると、大歓声だけでなく拍手も起こり、そりゃもう街は大
騒ぎさ。(笑)
しかし、これだけ待たされると、聴きたい気持ちが高まってくるもので、5分後
には場内の明かりが落とされ、ギターを持ったジョアン爺さんが、一人でステー
ジに現れた。
コンサートの内容は、来年発売される世界初のライブDVDで楽しんでいただくと
して、あくまでも「ブラジル時間」を貫く古老のマイペースぶりには脱帽した
一夜であった。
(袴田)
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