人物・文献情報データベースWHOPLUSの“人物”をテーマにしたブログです!
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■ ハカマダ芸能研究所 -奄美大島は芸能の宝庫-元ちとせライブへ
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CDやプロモーションビデオだけでは飽き足らず、ライブコンサートで生
の歌声を聴いて、ますますハマってしまったというアーティストが何人か
いて、そのうちの一人が、元ちとせ(*1)です。
デビューアルバム「ハイヌミカゼ」が注目されていた頃、「オーガスタキ
ャンプ2002」(千葉マリンスタジアム)という夏の野外イベントで、
生の歌声を聴いたのが最初でしたが、“百年に一人の美声”という触れ込
みに嘘偽りはなく、これは是非ホールでのライブも聴かなくては、と思い
続けて早一年。ようやく先月末に初の全国単独ライブ「コンサートツアー
2003“はじめまして”」の、東京最終公演(NHKホール)を観てき
ました。
アルバム収録曲の数々もさることながら、某・自動車メーカーのCM曲
「虹の彼方に」や、三線弾き語りによる奄美の島唄まで、どの曲を歌って
も見事な“元ちとせ節”になっていくのには驚かされました。持ち歌もま
だ少ないので、2時間未満でライブは終わるかと思っていましたが、アン
コール込みでたっぷり2時間半、最後は満場のスタンディングオベーショ
ンでした。
さて、そんな彼女の音楽的素養と切り離せないのは、生まれ故郷の奄美大
島ではないでしょうか。沖縄本島の約3分の1の面積に人口は73,90
3人(平成12年国勢調査)ですが、本人の公式ホームページによると、
“通っていた小学校は全校生徒4人で、全員親戚。1人で入学式、1人で
卒業式。”だったそうで、ご多分に洩れず、過疎に直面する島の1つのよ
うです。
それでは彼女以外に、奄美大島でどのような人が生まれ育ったのだろうと
思い、「WebWHO」で検索。
- キーワード [奄美大島] 必ず含む
- [現存者]にチェック
- [日本人]にチェック
⇒98件ヒットしました。
出身歌手も意外に多く、我那覇美奈(*2)、元・VOX-IV(ボックスフォー) の
K-CO(*3)など。一番驚いたのは沖縄出身だと思い込んでいた、現・篠山紀
信夫人の南沙織(*4)も奄美大島だったとは、思わず「へえ~っ」((c)トリ
ビアの泉)でした。 (袴)
参考URL:http://www.office-augusta.com/hajime/#
http://www3.ocn.ne.jp/~amami21/shima.html
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*1 元 ちとせ(ハジメ,チトセ)
歌手
昭和54年生まれ
鹿児島県・奄美大島南部の集落に生まれ、幼い頃から島唄や三線(さんしん)
に親しむ。その後島唄を歌う唄者(うたしゃ)として島内の祭りなどで人気に。
県内の民謡コンクールで優勝し、奄美群島内だけでCDやテープを発売。平成
9年地元の県立高校を卒業後美容師を目指すが、再び歌の道へ。13年ミニアル
バム「元ちとせ Hajime Chitose」をリリース。14年メジャーデビューシングル
「ワダツミの木」が80万枚を超える大ヒットを記録。デビューアルバム「ハイ
ヌミカゼ」もオリコンチャート1位を獲得。
*2 我那覇 美奈(ガナハ,ミナ)
歌手
昭和56年 鹿児島県・奄美大島生まれ
平成2年小学生のレディースバンドを結成し、ティーンズミュージックフェス
ティバルに出場。10年2月「桜のころ」でCDデビュー。東京総合信用のCMで
話題になる。同年11月には3rdシングル「TEARS~時間の中で」のプロモーショ
ンのために、原宿・渋谷でミニFM局を数局開局、音楽業界では初の2億円を
かけたストリートプロモーションを行った。
*3 K-CO(ケーコ)
歌手
鹿児島県・奄美大島生まれ
平成5年上京。鹿児島県・奄美大島出身者のアカペラグループ・YanagiyaVの
メンバーとして活動し、テレビの歌番組「青春のポップス」や「THE夜もヒッ
パレ」などに出演。10年グループ名をVOX-IVに改名。アルバム「Peace ×××」
シングル「Keep The Faith」「Cruisin'」「MyLove To You」などをリリース。
13年グループ解散後はソロ歌手として活動。
*4 南 沙織(ミナミ,サオリ)
歌手
昭和29年 鹿児島県奄美大島生まれ
父親はフィリピン人の建築技師、母親は日本人で、3歳のとき沖縄へ移る。
琉球放送「100万人の大合戦」のアシスタント時代にスカウトされ、昭和
46年「17才」で歌手デビュー。小麦色の肌、長い黒髪、愛らしい瞳と南国
育ちの清純な健康美でファンの心をつかみ、3ケ月で40万枚を売る大ヒット。
小柳ルミ子、天地真理と"三人娘"と呼ばれた。
■ ハカマダ芸能研究所 -奄美大島は芸能の宝庫-元ちとせライブへ
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CDやプロモーションビデオだけでは飽き足らず、ライブコンサートで生
の歌声を聴いて、ますますハマってしまったというアーティストが何人か
いて、そのうちの一人が、元ちとせ(*1)です。
デビューアルバム「ハイヌミカゼ」が注目されていた頃、「オーガスタキ
ャンプ2002」(千葉マリンスタジアム)という夏の野外イベントで、
生の歌声を聴いたのが最初でしたが、“百年に一人の美声”という触れ込
みに嘘偽りはなく、これは是非ホールでのライブも聴かなくては、と思い
続けて早一年。ようやく先月末に初の全国単独ライブ「コンサートツアー
2003“はじめまして”」の、東京最終公演(NHKホール)を観てき
ました。
アルバム収録曲の数々もさることながら、某・自動車メーカーのCM曲
「虹の彼方に」や、三線弾き語りによる奄美の島唄まで、どの曲を歌って
も見事な“元ちとせ節”になっていくのには驚かされました。持ち歌もま
だ少ないので、2時間未満でライブは終わるかと思っていましたが、アン
コール込みでたっぷり2時間半、最後は満場のスタンディングオベーショ
ンでした。
さて、そんな彼女の音楽的素養と切り離せないのは、生まれ故郷の奄美大
島ではないでしょうか。沖縄本島の約3分の1の面積に人口は73,90
3人(平成12年国勢調査)ですが、本人の公式ホームページによると、
“通っていた小学校は全校生徒4人で、全員親戚。1人で入学式、1人で
卒業式。”だったそうで、ご多分に洩れず、過疎に直面する島の1つのよ
うです。
それでは彼女以外に、奄美大島でどのような人が生まれ育ったのだろうと
思い、「WebWHO」で検索。
- キーワード [奄美大島] 必ず含む
- [現存者]にチェック
- [日本人]にチェック
⇒98件ヒットしました。
出身歌手も意外に多く、我那覇美奈(*2)、元・VOX-IV(ボックスフォー) の
K-CO(*3)など。一番驚いたのは沖縄出身だと思い込んでいた、現・篠山紀
信夫人の南沙織(*4)も奄美大島だったとは、思わず「へえ~っ」((c)トリ
ビアの泉)でした。 (袴)
参考URL:http://www.office-augusta.com/hajime/#
http://www3.ocn.ne.jp/~amami21/shima.html
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*1 元 ちとせ(ハジメ,チトセ)
歌手
昭和54年生まれ
鹿児島県・奄美大島南部の集落に生まれ、幼い頃から島唄や三線(さんしん)
に親しむ。その後島唄を歌う唄者(うたしゃ)として島内の祭りなどで人気に。
県内の民謡コンクールで優勝し、奄美群島内だけでCDやテープを発売。平成
9年地元の県立高校を卒業後美容師を目指すが、再び歌の道へ。13年ミニアル
バム「元ちとせ Hajime Chitose」をリリース。14年メジャーデビューシングル
「ワダツミの木」が80万枚を超える大ヒットを記録。デビューアルバム「ハイ
ヌミカゼ」もオリコンチャート1位を獲得。
*2 我那覇 美奈(ガナハ,ミナ)
歌手
昭和56年 鹿児島県・奄美大島生まれ
平成2年小学生のレディースバンドを結成し、ティーンズミュージックフェス
ティバルに出場。10年2月「桜のころ」でCDデビュー。東京総合信用のCMで
話題になる。同年11月には3rdシングル「TEARS~時間の中で」のプロモーショ
ンのために、原宿・渋谷でミニFM局を数局開局、音楽業界では初の2億円を
かけたストリートプロモーションを行った。
*3 K-CO(ケーコ)
歌手
鹿児島県・奄美大島生まれ
平成5年上京。鹿児島県・奄美大島出身者のアカペラグループ・YanagiyaVの
メンバーとして活動し、テレビの歌番組「青春のポップス」や「THE夜もヒッ
パレ」などに出演。10年グループ名をVOX-IVに改名。アルバム「Peace ×××」
シングル「Keep The Faith」「Cruisin'」「MyLove To You」などをリリース。
13年グループ解散後はソロ歌手として活動。
*4 南 沙織(ミナミ,サオリ)
歌手
昭和29年 鹿児島県奄美大島生まれ
父親はフィリピン人の建築技師、母親は日本人で、3歳のとき沖縄へ移る。
琉球放送「100万人の大合戦」のアシスタント時代にスカウトされ、昭和
46年「17才」で歌手デビュー。小麦色の肌、長い黒髪、愛らしい瞳と南国
育ちの清純な健康美でファンの心をつかみ、3ケ月で40万枚を売る大ヒット。
小柳ルミ子、天地真理と"三人娘"と呼ばれた。
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