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■ ハカマダ芸能研究所(第4回)ハカマダ日本音楽史の輪廻を語る。
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年の瀬も迫った今頃の時期になると、街角では山下達郎(*1)の「クリスマ
ス・イヴ」が流れ、某・鶏の唐揚屋のCMでは竹内まりや(*2)の「すてきなホ
リデイ」が流れるのが年中行事になりましたねぇ。現代俳句の世界では「山
達聴く」が冬の季語に入っているそうで、かつては「夏だ!海だ!タツロー
だ!」のキャッチフレーズで売り出された(達郎本人は夏も海も大嫌いなの
だが)とは思えないほど隔世の感がありますなぁ。おっと、今回の主役はダ
ンナの方じゃなくて奥様のほうでした。(笑)
10月末に発売された竹内まりやの新譜「Longtime Favorites」(以下「ロ
ンフェバ」)は、デビュー25年目で初の自己プロデュースよる1960年代欧米
ポップスのカバーアルバム。地味なジャンルの選曲にもかかわらず、11月10
日付のオリコンチャートで初登場1位、前作「Bon Appetit!」に続いて2作連
続1位、さらには、女性アーティストの最年長アルバム首位獲得記録を更新(
48歳8ヶ月)...というオマケまで付いた、ちょっとした「ロンフェバ」ブー
ムでありました。
「ロンフェバ」発売直後の週末に、達郎&まりやファンのコミュニティサ
イト「circustown.net」と東京・武蔵小山駅前のレコード店「PET SOUNDS」
との共同企画で、「ロンフェバ」収録曲をまりや盤と1960年代当時のオリジ
ナル盤で聴き比べるというインストア・イベントがあったので、武蔵小山ま
で出かけていきました。「PET SOUNDS」は新譜を扱う、よくある街中のレコ
ードショップなのですが、店名からも察しがつくように、ビーチボーイズを
始めとしたオールディーズからナイアガラ(大瀧詠一)関連、果ては山下達
郎が好きな落語家のCDまで置いている(笑)という充実した品揃え。「ロン
フェバ」だけ買うつもりだったのに、結構余計なモノまで買ってしまいまし
た。
さて、そのイベントは店内の倉庫を催事スペースに仕立て上げて、大瀧詠
一や山下達郎が贔屓にしているという秋葉原の某・高級オーディオショップ
から総額200万円にものぼる機材を持ち込み、「ロンフェバ」収録曲とそのオ
リジナル盤を交互に聴きながら、曲間に「PET SOUNDS」店長によるオールデ
ィーズ談義や、つき合いの長い山下達郎&竹内まりやとの交友裏話を楽しむ
という構成。
店長曰く「ロンフェバ」収録曲の中でもイタリアの歌手・ミーナの「砂に
消えた涙」が大のお気に入りで、自称“世界一の「砂に消えた涙」コレクタ
ー”だとか。この曲は日本では弘田三枝子(*3)のカバー盤が有名だが、それ
以外にもポッと出のアイドルのシングルB面やアルバムの片隅にたびたび入っ
ているそうで、原題の「Un Buco Nella Sabbia(砂の穴)」に「砂に消えた涙」
という邦題と、最初から日本語で書かれた曲なのではないか、と思えるほど
の訳詞をつけた漣健児(*4)の言葉のセンスが素晴らしい等々、1960年代を風
靡した日本語訳詞によるカバーポップスの数々が、曲の面でも詞の面でも、
現在のJ-POPに至るまでの日本音楽史の基礎を作りあげているとのこと。
確かに「ロンフェバ」を聴いていると、「ジョニー・エンジェル」のイン
トロがユーミン(松任谷由実)の「中央フリーウェイ」の歌い出しに似てい
たり、「悲しきあしおと(Footsteps)」が甲斐バンドの「HERO(ヒーローに
なる時、それは今)」に似ているなど“メロディーの空耳アワー”が結構楽し
めます。
湯川れい子(*5)著「熱狂の仕掛け人」を読んでいたら、漣健児ことシンコ
ー・ミュージックの草野昌一は、甲斐バンドのマネージメントをしていたこ
とがあるというくだりがあって、何となく「Footsteps」と「HERO」の謎が解
けたような気がしますね。(笑)
ちなみに草野昌一は、シンコー・ミュージックの前身・新興楽譜出版時代
に「赤鼻のトナカイ」「サンタクロースがやってくる」などの外国曲に“新
田宣夫”の筆名で日本語訳詞をつけたのだそうで、これらのスタンダード曲
を広めた人物と、現代の国産クリスマスソングを担うミュージシャン夫婦が、
カバーポップスの縁でも繋がったのが「ロンフェバ」というわけで、日本音
楽史の輪廻を感じさせますね。
参考文献:「漣健児と60年代ポップス」高護監修 シンコー・ミュージック
「漣健児カバーポップスの時代」黒沢進監修 バーン・コーポレーション
「熱狂の仕掛け人」湯川れい子著 小学館
『PET SOUNDS Press Special Issue October 2003』(非売品)
参考URL :「すみや」SPECIAL INTERVIEW:竹内まりや
http://mediamax.sumiya.co.jp/interview/t.mariya2/index.asp
「circustown.net」音人千一夜
http://circustown.net/ct/onjin/vol_03/index.html
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*1 山下 達郎(ヤマシタ,タツロウ)
ミュージシャン 昭和28年 東京・池袋生まれ
昭和47年大貫妙子らとシュガー・ベイブ結成。51年解散。ナイアガラ・トラ
イアングル参加を経て、同年アルバム「サーカスタウン」でソロ・デビュー。
58年発売のシングル「クリスマス・イブ」はCMに採用されるなどしてクリス
マスの定番曲となる。
*2 竹内 まりや(タケウチ,マリヤ)
シンガーソングライター 昭和30年 島根県大社町生まれ
昭和53年11月「戻っておいでよ・私の時間」でデビュー。当初、アイドル歌
手的なプロモートをされたため、体調をくずし、「不思議なピーチパイ」な
どのヒット曲を出しながらも活動を停止。その後、山下達郎との結婚などを
機に、本格的なシンガー・ソングライターとして再出発。
*3 弘田 三枝子(ヒロタ,ミエコ)
歌手 昭和22年 東京都世田谷区生まれ
昭和30年米軍キャンプのオーディションに合格。ティーブ釜范に師事し、36
年14歳の時「子供ぢゃないの」でデビュー。「悲しき片思い」「バケーショ
ン」などパンチのきいたジャズ歌手として活躍し、天才少女"ダイナマイト・
ミコ"と呼ばれた。
*4 草野 昌一(クサノ,ショウイチ)
シンコー・ミュージック会長 筆名=漣 健児(サザナミ,ケンジ);新田 宣夫
昭和6年 東京生まれ
音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長時代、坂本九のデビュー曲「ス
テキなタイミング」の訳詞を手がけ、以後漣健児のペンネームで「ルイジア
ナママ」「可愛いベイビー」など、数多くのアメリカンポップスを翻訳。
*5 湯川れい子(ユカワ,レイコ)
音楽評論家;作詞家 昭和14年 東京都目黒区生まれ
雑誌「スイング・ジャーナル」に投稿したのをきっかけに、女性には珍しい
ジャズ評論家として出発。以後、DJ、司会、作詞家としても幅広く活躍。プ
レスリーの熱烈なるファンとしても有名。また平成元年WOMEN1000を結成以来、
毎夏「消しゴムコンサート」を開き、オノ・ヨーコ、シャーリー・マックレ
ーンらと環境保護運動にも関わる。
■ ハカマダ芸能研究所(第4回)ハカマダ日本音楽史の輪廻を語る。
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年の瀬も迫った今頃の時期になると、街角では山下達郎(*1)の「クリスマ
ス・イヴ」が流れ、某・鶏の唐揚屋のCMでは竹内まりや(*2)の「すてきなホ
リデイ」が流れるのが年中行事になりましたねぇ。現代俳句の世界では「山
達聴く」が冬の季語に入っているそうで、かつては「夏だ!海だ!タツロー
だ!」のキャッチフレーズで売り出された(達郎本人は夏も海も大嫌いなの
だが)とは思えないほど隔世の感がありますなぁ。おっと、今回の主役はダ
ンナの方じゃなくて奥様のほうでした。(笑)
10月末に発売された竹内まりやの新譜「Longtime Favorites」(以下「ロ
ンフェバ」)は、デビュー25年目で初の自己プロデュースよる1960年代欧米
ポップスのカバーアルバム。地味なジャンルの選曲にもかかわらず、11月10
日付のオリコンチャートで初登場1位、前作「Bon Appetit!」に続いて2作連
続1位、さらには、女性アーティストの最年長アルバム首位獲得記録を更新(
48歳8ヶ月)...というオマケまで付いた、ちょっとした「ロンフェバ」ブー
ムでありました。
「ロンフェバ」発売直後の週末に、達郎&まりやファンのコミュニティサ
イト「circustown.net」と東京・武蔵小山駅前のレコード店「PET SOUNDS」
との共同企画で、「ロンフェバ」収録曲をまりや盤と1960年代当時のオリジ
ナル盤で聴き比べるというインストア・イベントがあったので、武蔵小山ま
で出かけていきました。「PET SOUNDS」は新譜を扱う、よくある街中のレコ
ードショップなのですが、店名からも察しがつくように、ビーチボーイズを
始めとしたオールディーズからナイアガラ(大瀧詠一)関連、果ては山下達
郎が好きな落語家のCDまで置いている(笑)という充実した品揃え。「ロン
フェバ」だけ買うつもりだったのに、結構余計なモノまで買ってしまいまし
た。
さて、そのイベントは店内の倉庫を催事スペースに仕立て上げて、大瀧詠
一や山下達郎が贔屓にしているという秋葉原の某・高級オーディオショップ
から総額200万円にものぼる機材を持ち込み、「ロンフェバ」収録曲とそのオ
リジナル盤を交互に聴きながら、曲間に「PET SOUNDS」店長によるオールデ
ィーズ談義や、つき合いの長い山下達郎&竹内まりやとの交友裏話を楽しむ
という構成。
店長曰く「ロンフェバ」収録曲の中でもイタリアの歌手・ミーナの「砂に
消えた涙」が大のお気に入りで、自称“世界一の「砂に消えた涙」コレクタ
ー”だとか。この曲は日本では弘田三枝子(*3)のカバー盤が有名だが、それ
以外にもポッと出のアイドルのシングルB面やアルバムの片隅にたびたび入っ
ているそうで、原題の「Un Buco Nella Sabbia(砂の穴)」に「砂に消えた涙」
という邦題と、最初から日本語で書かれた曲なのではないか、と思えるほど
の訳詞をつけた漣健児(*4)の言葉のセンスが素晴らしい等々、1960年代を風
靡した日本語訳詞によるカバーポップスの数々が、曲の面でも詞の面でも、
現在のJ-POPに至るまでの日本音楽史の基礎を作りあげているとのこと。
確かに「ロンフェバ」を聴いていると、「ジョニー・エンジェル」のイン
トロがユーミン(松任谷由実)の「中央フリーウェイ」の歌い出しに似てい
たり、「悲しきあしおと(Footsteps)」が甲斐バンドの「HERO(ヒーローに
なる時、それは今)」に似ているなど“メロディーの空耳アワー”が結構楽し
めます。
湯川れい子(*5)著「熱狂の仕掛け人」を読んでいたら、漣健児ことシンコ
ー・ミュージックの草野昌一は、甲斐バンドのマネージメントをしていたこ
とがあるというくだりがあって、何となく「Footsteps」と「HERO」の謎が解
けたような気がしますね。(笑)
ちなみに草野昌一は、シンコー・ミュージックの前身・新興楽譜出版時代
に「赤鼻のトナカイ」「サンタクロースがやってくる」などの外国曲に“新
田宣夫”の筆名で日本語訳詞をつけたのだそうで、これらのスタンダード曲
を広めた人物と、現代の国産クリスマスソングを担うミュージシャン夫婦が、
カバーポップスの縁でも繋がったのが「ロンフェバ」というわけで、日本音
楽史の輪廻を感じさせますね。
参考文献:「漣健児と60年代ポップス」高護監修 シンコー・ミュージック
「漣健児カバーポップスの時代」黒沢進監修 バーン・コーポレーション
「熱狂の仕掛け人」湯川れい子著 小学館
『PET SOUNDS Press Special Issue October 2003』(非売品)
参考URL :「すみや」SPECIAL INTERVIEW:竹内まりや
http://mediamax.sumiya.co.jp/interview/t.mariya2/index.asp
「circustown.net」音人千一夜
http://circustown.net/ct/onjin/vol_03/index.html
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*1 山下 達郎(ヤマシタ,タツロウ)
ミュージシャン 昭和28年 東京・池袋生まれ
昭和47年大貫妙子らとシュガー・ベイブ結成。51年解散。ナイアガラ・トラ
イアングル参加を経て、同年アルバム「サーカスタウン」でソロ・デビュー。
58年発売のシングル「クリスマス・イブ」はCMに採用されるなどしてクリス
マスの定番曲となる。
*2 竹内 まりや(タケウチ,マリヤ)
シンガーソングライター 昭和30年 島根県大社町生まれ
昭和53年11月「戻っておいでよ・私の時間」でデビュー。当初、アイドル歌
手的なプロモートをされたため、体調をくずし、「不思議なピーチパイ」な
どのヒット曲を出しながらも活動を停止。その後、山下達郎との結婚などを
機に、本格的なシンガー・ソングライターとして再出発。
*3 弘田 三枝子(ヒロタ,ミエコ)
歌手 昭和22年 東京都世田谷区生まれ
昭和30年米軍キャンプのオーディションに合格。ティーブ釜范に師事し、36
年14歳の時「子供ぢゃないの」でデビュー。「悲しき片思い」「バケーショ
ン」などパンチのきいたジャズ歌手として活躍し、天才少女"ダイナマイト・
ミコ"と呼ばれた。
*4 草野 昌一(クサノ,ショウイチ)
シンコー・ミュージック会長 筆名=漣 健児(サザナミ,ケンジ);新田 宣夫
昭和6年 東京生まれ
音楽雑誌「ミュージック・ライフ」の編集長時代、坂本九のデビュー曲「ス
テキなタイミング」の訳詞を手がけ、以後漣健児のペンネームで「ルイジア
ナママ」「可愛いベイビー」など、数多くのアメリカンポップスを翻訳。
*5 湯川れい子(ユカワ,レイコ)
音楽評論家;作詞家 昭和14年 東京都目黒区生まれ
雑誌「スイング・ジャーナル」に投稿したのをきっかけに、女性には珍しい
ジャズ評論家として出発。以後、DJ、司会、作詞家としても幅広く活躍。プ
レスリーの熱烈なるファンとしても有名。また平成元年WOMEN1000を結成以来、
毎夏「消しゴムコンサート」を開き、オノ・ヨーコ、シャーリー・マックレ
ーンらと環境保護運動にも関わる。
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