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【2】話題のカタマリ(第79回)         ― シネマ落語はお得な試み
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“エビ小僧の不祥事”で揺れる松竹だが、その騒動の陰でユニークな試みを始
めたので、公開初日を観に行ってみた。

TBSとの共同プロジェクト・シネマ落語「落語研究会 昭和の名人」である。
http://www.shochiku.co.jp/movie/cinemarakugo/

松竹では2005年から歌舞伎公演を記録した映像をスクリーン公開する「シネマ
歌舞伎」で好評を博しているが、本プロジェクトはそれの落語版といったとこ
ろだ。

今回の公開演目は、TBSが主催する「落語研究会」の記録映像から

・桂文楽「明烏」(1968年)
・古今亭志ん朝「抜け雀」(1972年)
・金原亭馬生「親子酒」(1978年)
・三遊亭圓生「掛取万歳」(1973年)

の4席を、当日券2000円で鑑賞できるというものであった。

桂文楽「明烏」の“伝説の甘納豆の仕草”は、初めて映像で観た。何よりも
会場で一緒に笑うのがイイ。

同記録映像は、すでに各演者ごとのDVD-BOXに収録されて、発売されているも
のだが、全てのDVD-BOXを買ったら20万円を超えるような代物なので、今回の
ようなリーズナブルな試みはありがたい。

愛宕山のNHK放送博物館で時おり上映されている落語映像も、ぜひDVD化して
  全国でスクリーン公開をしてほしいものだ。

◎ 桂文楽(8代目)(落語家)
明治25年青森生まれ 昭和46年没
税務官員であった父の任地・青森県五所川原で生まれるが、父の転勤にとも
ない上京。明治35年父の病死により小学校を3年で中退し、横浜の薄荷問屋・
多勢屋に奉公に出たが、しばらくして飛び出し奉公先を変えた。41年義父の
紹介で初代桂小南の門に入り、桂小莚を名のる。一方で立花家左近(3代目三
遊亭円馬)に厳しく稽古をつけてもらい、落語家としての力量を磨いた。43
年二ツ目。師・小南が東京の落語界から去ると、講談師の小金井芦洲率いる
一座の地方巡業に参加。大正5年帰京して7代目翁家さん馬(8代目桂文治)に
入門し、翁家さん生に改名。6年落語睦会に属して5代目柳亭左楽の門に転じ、
翁家馬之助で真打ちに昇進。9年桂文楽を襲名。昭和13年落語協会に参加。
得意の演目数は多くなかったが、緻密にして正確な語り口は至芸といわれ、
5代目古今亭志ん生、6代目三遊亭円生らと並び"昭和の名人"と称された。

◎ 古今亭志ん朝(3代目)(落語家)
昭和13年東京生まれ 平成13年没
5代目古今亭志ん生の二男で、兄は10代目金原亭馬生。
独協学園高卒業後の昭和32年、父に入門し、古今亭朝太の名で初高座。7代
目林家正蔵(林家彦六)らにも稽古をつけてもらい、34年朝太のまま二ツ目と
なる。37年24歳という異例の早さで真打ちになり、3代目古今亭志ん朝を襲
名。46年芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。一方、テレビタレント、俳優とし
ても活動し親しまれた。40歳以降は寄席や落語会への出演の比重を増やし、
昭和後期から平成を代表する落語家となる。

◎ 金原亭馬生(10代目)(落語家)
昭和3年東京生まれ 昭和57年没
5代目古今亭志ん生の長男で、弟は3代目古今亭志ん朝。戦時中は少年飛行隊
を目指すが、体調を崩したため断念して落語家志望に転じ、昭和18年父に入
門、むかし家今松を名のる。戦争による若手落語家不足のため二ツ目から出
発した。19年初代古今亭志ん朝に改名、22年父が帰国し、むかし家今松に芸
名を戻すが、同年5代目古今亭志ん橋に改めて真打ちに昇進。24年10代目金原
亭馬生を襲名。また、高座を降りれば画や書、俳句をたしなむなど日本風の
風格のある生活を送った。

◎ 三遊亭円生(6代目)(落語家)
明治33年大阪生まれ 昭和54年没
    幼い頃に父と別れ、義母に連れられて上京。4代目橘家円蔵一門となり、5歳
の時に子供義太夫・豊竹豆仮名大夫の名で寄席に出演。9歳で噺家に転向して
橘家円童と名のる。義母がのちの5代目三遊亭円生と再婚。小円蔵を経て、
大正9年円好で真打ちに昇進。11年円窓、15年6代目円蔵となり、義父の死後
の昭和16年、6代目三遊亭円生を襲名。20年5代目古今亭志ん生と満州に慰問
興業に赴いて敗戦を迎え、22年帰国。34年以降芸術祭賞を初め数々の賞を受
賞。40~47年落語協会会長を務めたが、53年後任の会長である5代目柳家小さ
んらの大量真打ちや昇進試験という方針に反対して、一門を率いて落語協会
を脱退、落語三遊協会を設立。
(WHOPLUSより)

(袴田)

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