おもいついて大正・昭和初期を舞台にした小説などを読んでいる。すると、
登場人物たちが、やたらめったら電報をうちまくっているので、面白いのだ。
焦がれる相手を新橋の停車場によびだすといえば、電報。自分の意に反した
お見合いをさせられるといっては、電報。箱根の別荘に迎えに来てといって
は、電報だ。物語は、もはや電報なしには進展しない。
当時、どのていど一般的だったのだろう。今でいう携帯メールのような感覚
か? と想像をはたらかせてみるが、主人公たちの手に、それを持たせてし
まうと、はなはだ無味乾燥で、魅力がなくなってしまう。なぜか今、電報に
情緒を感じている(夏)なのである。 (夏)
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